お知らせ

世界病者の日ミサでの菊地功大司教のお話と天本昭好神父のあいさつ

2023年02月21日

2月11日に行われた世界病者の日ミサの中での、菊地功大司教のお話しとカリタス東京常任委員会委員長である天本昭好神父のあいさつをご紹介します。  

菊地功大司教のお話し

なかなかコロナの感染症が落ち着かないので、「来年こそは、来年こそは」と言いながら3年がもう経ってしまいました。 世界病者の日に、多くの方に集まっていただいて、一緒にミサを捧げるということが、できずに来てしましたが、でも、少しずつ良くなってきていると思いますので、たぶん来年こそは、もっとたくさんの人に集まっていただけると思います。 今年の世界病者の日のミサは、今までは、教区の社会福祉委員会の主催で行っていましたが、もうちょっと大きな形で、東京教区の中で、いわゆる社会系の活動、社会の中で福音を証する活動に携わって下さっている多くの方々に参加していただいて、今日、このミサを捧げることにしました。 主催は、新しく設立され、組織を整えつつある、カリタス東京という組織から、皆さんにお声がけをして、そして、今回の世界病者の日のミサを捧げることになりました。 「カリタス東京」という名前を聞くと、私自身が「カリタスジャパン」という組織の責任者を長く務めていたので、どうしてもカリタスジャパンの支店、子会社が東京にできたのかと思われてしまいますが、名前は一緒で、目指す所も一緒ですが、決してカリタスジャパンの東京支部ができたわけではないのです。 それぞれの教区で、カリタスの業を行う組織が必要であるということを強調されたのは、先日亡くなれた教皇ベネディクト16世でありました。教皇ベネディクト16世は教皇になられて最初に何を公に発表するのであろうか、皆さん、かたずをのんで見守っていたのですが、それは、教皇になる前の教理省長官であつたときの厳しい枢機卿のイメージが定着していたので、教皇になったら何を最初に厳しく言うのだろうかと皆心配をしていました。教皇ベネディクト16世は最初に回勅を出されて、しかも非常に薄いもので、今の教皇様の回勅に比べたら4分の1くらい薄い、「神は愛」(デウス・カリタス・エスト)という回勅を出されました。 そのなかではっきりと、教会の務め、教会というものの本質は3つの務めで表されているとされました。その1つは、神の言葉を告げること、宣教することです。もう一つは秘跡を祝うこと、典礼や祈りという側面です。3つ目に愛の奉仕を行うこと、ディアコニアであるということをおっしゃいました。 この3つ、宣教、神の言葉を告げ知らせることと秘跡を祝うこと、愛の奉仕を行うことの三つはそれぞれが独立して存在をしているのではなくて、互いが互いを前提として存在し、この三つがすべて十分に存在しているところに、教会というものが十分な形で表されるのだということを強調されて、教会にとって宣教や礼拝、典礼が必要、重要であるのと同様に、愛の奉仕の業も重要だということを強調されました。 その「神は愛」の中に、それぞれの教区の司教は、自分の教区の中に、その愛の奉仕のための組織をしっかりと設立することによって、教会共同体が全体として愛の奉仕の業に励んでいくように取り組まなければならないということをお決めになったので、それに基づいて、それぞれの教区での教区カリタスという存在を、教区によって事情がありますので、皆同じというわけにはいきませんけれども、それぞれの立場から、それぞれの状況に応じて、教区のカリタスを立ち上げていくということが、司教にとっての一つの使命であるということが、教皇ベネディクト16世の回勅によって示されたわけです。 日本の教会の中では、東京教区は一番大きな教区ですから、人数的にも一番大きな教区なので、それなりの責任が東京教区に属している私たちにはあります。 その中で、日本の社会全体がそうであるように、少子高齢化は教会にも押し寄せています。私自身は少子高齢化が危機だとは全然思っていないです。1億何千万もいるなかのほんの40~50万人しかカトリック信者ではないので、やるべきことはもっとありますので、全然悲観はしていないです。 それはさておき、教会の組織としての愛の奉仕の取り組みということに関しても、これから先、どのような形で充実させてゆくのか考えると、それぞれが独立して、自分たちでやっていくのはなかなか難しい社会状況になって来ているなということを感じています。 もう一つは、愛の奉仕という言葉がどこまでを包んでいるのかをはっきりとしなければならないので、社会の中で愛の福音、神のいつくしみと愛を証しているような業はすべて愛の奉仕、ただ、優しくするだけでなくさまざまなことを含んでいると言う形で考えたとき、教区の中にある「正義と平和」もそうですし、滞日外国人のための仕事もそうですし、それに病院だとか福祉施設だとかそういったものもそうですし、さまざまな活動を一つにまとめるのは不可能ですから、何らかの形でネットワークを生み出していきたいというのが1つです。また、教区としての委員会もできれば1つにまとめていって、効率よく、そして十分に愛の奉仕の活動に取り組んでいくことが出来るようにと言う形で、東京教区の宣教司牧方針を作ったときに、そのような愛の奉仕の活動を一つのネットワーク化するということと、教区のカリタスを作りましょうということを掲げたわけです。 だからといってすぐ実現することはないのはわかっていますので、時間をかけて、このような「世界病者の日」なりの機会を見出して、さまざまな活動をしている方々のそれぞれの声を聞き、お互いの活動の理解を深めながらネットワーク化し、そして教区全体として、教会の本質的な務めである愛の奉仕の活動に関わっていくことができれば、それに越したことはないと思っています。 そうゆうわけで、今日は初めての試みとして、このような形で多くの方に集まっていただき、ミサを捧げることができました。 このあと、少しの時間ですが、交流会が用意されてというふうにうかがいましたので、そこで、お互いの活動について分かち合いながら、これからも東京教区における愛の奉仕の活動のネットワーク化と、組織化が進められればと思っています。 今日はみなさん、世界病者の日のミサにおあずかりいただきありがとうございます。もちろん、この世界病者の日の一番の主眼である、病に苦しんでおられる方々、さまざまな困難に直面している多くの方々の上に、神様のいつくしみがあるよう祈り続けたいと思います。  

カリタス東京常任委員会委員長 天本昭好神父あいさつ

今日はみなさん、お集まりいただき、本当に感謝します。今日、こうして集まることが出来たこと、とりわけ、今日のミサの中で小教区の活動グループの方がともに参加するというのはなかなか今まで機会がなかったのではないかと思います。 そうした中で、カリタス東京という組織が昨年立ち上がっていきました。私達が目指すもの、それは「カリタス」、目に見えないはずのものが、目に見える私たちを通して、表されていく、それが愛のわざだと考えるなら、今日こうしてともに祈り、ともに時を同じくしている、それが、これからの東京教区の社会司牧の礎になっていくと私は信じています。 昨年から始まりましたが、今、カリタス東京事務局で専従で働いているのは二人の信徒の方です。改めてご紹介させていただきます。田所さん、吉祥寺教会所属です。そして小池さん、関口教会所属です。この二人から、カリタス東京は始まっています。そして、わたしたち東京教区の教会が心を一つにするのと同時に、この社会にあって、地の塩、世の光として輝いていけるよう、皆さんとともに、できること、できないこと、様々なことを目にしながら、そしてともにどうすれば、わたしたちの社会に福音を響き渡らせることができるのかということを、ともに歩みながら考えていきたいと思いますので、これからどうぞよろしくお願いします。