カリタス東京
大司教挨拶
「わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ」(マタイ25:35)
イエスの言葉と行いは、いつくしみと愛に満ちあふれています。イエスの語る優しさは、人間の性格としての優しさのことではありません。それは人間のいのちを賜物として与えてくださった神が、すべてのいのちを一つの例外もなく大切にされているからに他なりません。だからこそイエスは、マタイの福音に記されているように、困難な状況にある人やいのちの危機に直面している人に対する愛といつくしみの行為は、そのいのち一つ一つを愛おしく思われているご自分に対する行為なのだとされるのです。
神の愛に具体的に生きる行為、つまりカリタスの行いは、イエスの言葉と行いに付き従うものにとって選択肢の一つではなく、義務でもあります。
「カリタス」という名前を耳にすると、カトリック教会が組織する災害救援や人道援助の団体を思い起こされるのかも知れません。しかし「カリタス」という言葉は、それをはるかに超えた、キリスト者が生きる道の基本を指し示す言葉です。信仰に生きるわたしたちは、カリタスに生きるのです。
第二バチカン公会議の現代世界憲章には、「各自は隣人を例外なしに「もう一人の自分」と考えなければならず、何よりもまず隣人の生活と、それを人間にふさわしいものとして維持するために必要な手段について考慮すべきである(27)」と記されています。隣人愛の行動は、隣人への生活へと思いを馳せ、それを「人間にふさわしいものとして維持するために」手を尽くすことを求めますが、「人間にふさわしい」すなわち「人間の尊厳」を守るための行動は、ありとあらゆる事を含んでいます。教皇フランシスコは、「ラウダート・シ」において「総合的エコロジー」という言葉を使い、この世界にある諸々はすべてつながっているのだと指摘されました。カリタスの行動も、その対象を「総合的」に考えます。教皇フランシスコが、社会に対する様々な教会の活動を統括する部門として、「総合的人間開発促進の部署」を設立した由縁です。
東京教区のカリタス組織として設立された「カリタス東京」は、災害救援や人道援助団体としてだけ組織されたのでなく、それも含めて、「人間の尊厳」を守るためのありとあらゆる必要に「総合的」に応える組織となることを、最終的に目指しています。今後様々な調整が必要になりますが、できる限り早い段階で、これまでの教区の諸活動をさらに深め、総合的な取り組みとして、「人間の尊厳」を守り高める組織となってまいります。
教皇ベネディクト十六世は、「神は愛」にこう記しています。
「教会の本質はその三つの務めによって表されます。すなわち、神の言葉を告げ知らせること(宣教とあかし)、秘跡を祝うこと(典礼)、そして愛の奉仕を行うこと(奉仕)です。これらの三つの務めは、それぞれが互いの前提となり、また互いに切り離すことのできないものです。(25)」
東京教区で信仰生活を送る兄弟姉妹の皆さん。カリタスの行動は他人事ではなくて、わたしたち一人ひとりのキリスト者としての務めであり、教会共同体の本質的務めです。
カリタス東京をさらに豊かに育て、「人間の尊厳」を守り抜く教会共同体を育てて参りましょう。
カトリック東京大司教区 大司教 菊地功