カリタス東京ニュース

カリタス東京ニュース 2024年8月号

2024年07月22日

巻頭言

LINE版カリタス東京ニュース配信に期待すること

カリタス東京 常任委員会委員長
東京教区司祭 小池 亮太

2024年4月1日付で「カリタス東京」の常任委員会委員長に任命されましたが、2022年4月に創設された「カリタス東京」という組織が何を目指しているのか、どのような部門があり、それぞれの部門で誰が働き、どのような人が関わっているのか、正直言って私にはまだ把握はできていません。ということは、東京教区の多くの信徒も同じように感じているのではないか、もしかしたら「カリタス東京」という組織があることすら知らない人が多くいるのではないか、と私は思います。

すでに教会外の様々な組織や団体と繋がって動き始めた活動もありますが、それはそれとして、「カリタス東京」がどのような組織で、どのような部門があり、誰がどのような活動をし、何をしているのかを整理し、整理したものを東京教区の信徒の皆さんに分かるように発信していけたらと思います。そうしなければ、様々な人が「カリタス東京」とどのように関われるのかが分からないからです。LINE版カリタス東京ニュースがその助けとなるように願います。

インフォーメーション

東京教区平和旬間2024 イベントのお知らせ

8月3日(土)

14:00~16:00
講演会 斉藤小百合さん(恵泉女学園大学教授)

テーマ

「日本国憲法と東アジアの平和」

1947年5月3日に施行された日本国憲法を私たちは、どのくらい知っているでしょうか?国民主権・平和主義・基本的人権の尊重を三原則とした世界に誇る憲法が担う「平和」を今一度考えてみませんか?

場所

麴町教会 ヨセフホール 

お問い合わせ:

カトリック東京正義と平和の会 齊木
電話:090-4543-7082

 

8月10日(土)

14:30~16:15
講演会 根本 敬さん(上智大学名誉教授)

テーマ

「創り直されるミャンマー クーデター下の弾圧と人々の抵抗、そして祈り」

ミャンマーで進む国軍による「破壊」と、それに命がけで抵抗する人々による民主国家の「創り直し」の両方を紹介し、このような困難に至った歴史的背景に触れたうえで、私たちにできる支援は何かについて考えます。

場所

関口会館 ケルンホール

 

17:00~
平和を願うミサ 主司式:小池亮太神父(カリタス東京常任委員長)

場所

東京カテドラル聖マリア大聖堂

*ミサ中の献金ならびに各イベント会場での献金箱で集まった献金は、ミヤンマーの支援のために東京教区ミヤンマー委員会に寄付されます。8月10日、ミヤンマー支援先の写真パネル展示を関口会館エントランスホールにて開催します。

 

8月11日(日)

10:00~ ミサ

11:00~
武蔵野南宣教協力体企画 講演会

講師

佐々木 宏人さん(荻窪教会所属 元毎日新聞経済部長)

テーマ

「“平和の使徒”戸田帯刀神父殉教を通して考える」

場所

カトリック荻窪教会

お問い合わせ

カトリック荻窪教会

Fax: 03-3334-8261

Mail: hirochan0925@gmail.com(佐々木まで)

 

8月18日(日)

14:00~16:00
世田谷南宣教協力体企画 講演会

ルワンダに生きる日本人義肢装具士 NGOムリンディ/ジャパン・ワンラブ・プロジェクト
「ルダシングワ真美さんとガテラ・ルダシングワ・エマニュエルさんの講演」

場所

カトリック碑文谷教会 司祭館2階

お問い合わせ

カトリック碑文谷教会 Tel: 03-3713-7624

 

世田谷南地区宣教協力体(田園調布教会・上野毛教会・碑文谷教会)は,8月6日午前8時15分、8月9日11時2分、8月15日正午に各教会で平和のための鐘を鳴らします。

チラシ

愛の奉仕活動の紹介コーナー

「ほしのいえ」訪問レポート

今回は東京都荒川区にある「ほしのいえ」を訪問しました。「ほしのいえ」は山谷地区で30年以上にわたって、生活相談、炊き出し、共同作業等の活動を通して、路上生活や簡易宿泊所生活を余儀なくされた人々の自立に向けた支援を続けている団体です。代表のSr.中村訓子さんがカトリック新聞に定期的に寄稿しておられ、ご存じの方も多いと思います。毎週火曜日に山谷地区の野宿者の集まる場所数か所で炊き出しとアウトリーチの活動を行っています。炊き出しとアウトリーチに同行するため2週にわたって取材をさせていただきました。

ほしのいえの外観です。

 

5月中旬、毎週火曜日に行われている炊き出しのおにぎり作りと玉姫公園での炊き出しに参加するために訪問させていただきました。午後1時にお伺いするとおじさん達とボランティアの人たちが既に集まりおにぎりを握る準備が出来ているところでした。

おにぎり作りが開始されると、ご飯150gが計量されて梅干とおかかが練りこまれた具を中に包んで、パットの塩の上を転がして握り、最後に海苔を巻いて完成します。完成したおにぎりはサランラップで巻かれて温かいまま保温ケースに入れられていきます。この日は180個のおにぎりを作ります。

おにぎりを丁寧に握って保温ケースに入れていきます。

 

本日のおにぎり作成チームです。

 

おにぎりが出来上がると、次は味噌汁の調理が始まります。具はジャガイモ、さつま芋、などでおじさんたちが食べやすい大きさに切っていきます。ほしのいえの味噌汁にはすりおろしたショウガとレモンを隠し味としていれます。そして、味噌は白みそと自家製の赤みその合わせみそを使用します。寸胴鍋にいっぱい味噌汁が作られます。アツアツの味噌汁は持って出られるように大きな保温ジャーに入れられます。

味噌汁は運搬のために保温ジャーに入れられます。

 

味噌汁が出来上がると、この日は新鮮な野菜が手に入ったのでサラダを付けることになり、レタス、ニンジンなどをボールに入れ、シスターがブレンドした特製ドレッシングがかけられて、混ぜてから、ジップロックに個別に分けられていきます。この日は、他にのど飴の寄付があってそれも配られることになっています。アウトリーチのコースごとにお箸とお味噌汁を入れるコップやおたまが用意されます。

サラダを作り、持っていくものの準備が整いました。

 

配布の用意が終わったところで休憩に入ります。シスターを囲んでお菓子を食べ、テレビで相撲観戦しながら世間話をします。この日の調理には「ほしくずの会」のメンバー3名がボランティアとして参加しています。「ほしくずの会」は福音ルーテル教会の方々が中心となって路上生活者支援活動を行っている団体で、発足当初から様々な形でほしのいえと協働し続けています。

ボランティアでお手伝いをしているほしくずの会のメンバーの方々です。

 

ボランティアの方がおじさんたちにマッサージをしています。

 

夜6時半を過ぎると、事務所には炊き出しに参加するボランティアの方々が集まってきます。7時半からコースの担当分けが行われ、当日の配布物の説明と注意事項が共有されます。その後、車2台に配布食糧と味噌汁を載せる折り畳み椅子を載せて出発します。

炊き出し出発前の打ち合わせと車に支援品を積み込んだところです。

 

この日は、山谷地区の中心にある玉姫公園での炊き出しに行く5人のボランティアの方に同行しました。玉姫公園は前回のレポートで昼間の山友会の炊き出しに同行しましたが、夜に行くのは初めてでした。到着すると既に30人近くの方が列を作って待っていました。

椅子を出して味噌汁のジャーを置き、おにぎりの保温箱も開けて配る準備をします。午後8時になると味噌汁をコップによそって、おにぎりと一緒に一人一人に渡していきます。味噌汁はその場で食べて、お替りの為にまた列に並ぶ人がたくさんいます。15分ほどで31人の方におにぎりと味噌汁、サラダと「のど飴」を配り終えました。味噌汁は保温ジャーが本当にきれいにカラとなります。比較的若い人も多くいて、ボランティアのおじさんたちが利用者の人達に声をかけていきます。その中で新宿の方から歩いて来たという人もいました。

配布が終了すると、車に備品を積み終わって事務所に引き上げますが、途中ボランティアのおじさんたちが自分たちのドヤの前で降りて帰っていきます。

事務所では各コースのボランティアが帰ってきて、配布数や状況を報告して解散となります。

炊き出し後の片付けをしています。

 

さて、翌週は東盛公園・山谷堀公園・清川公園方面のアウトリーチに同行しました。この日は、夕方から嵐のような雨風となり、しかも気温が低い中でのアウトリーチとなりました。さすがに、ボランティアの出足も遅くて、いつもよりは少ない人数での活動となりました。

アウトリーチは3名のチームで行います。まず、三ノ輪駅近くの東盛公園では10人くらいの人が待っています。ここでは、味噌汁のジャーをおろして一人一人におにぎりと味噌汁を渡していきます。寒い雨の中で皆さん本当においしそうに味噌汁を食べてお替りをしていきます。

次に向かったのが山谷堀公園です。山谷堀公園は道路に沿って縦に長く遊歩道のような公園で、利用者の方が道路沿いのいくつかの場所に立って待っています。この日は傘をさしていても横殴りの雨で全身びしょびしょになる状況の中で待っていました。ボランティアは視界の悪い中、待っている人を見落とさないようにゆっくりと車を進めていき、待っている場所で車を止めて、おにぎりと味噌汁を渡し、雨が強くなるから気を付けてと声をかけていきます。

次に向かった清川公園では、この雨の中、野宿の人が生垣の陰にずぶ濡れになった野宿者が佇んでいました。車を降りて声をかけ、おにぎりと味噌汁2カップを渡し大丈夫ですかと声をかけると、大丈夫と返事が返ってきました。

車は清掃事務所に向かいます。ここには、4名の野宿の人が毛布にくるまって寝ていました。一人一人におにぎりと味噌汁がいりますかと聞いて、いると答えた人に味噌汁とおにぎりを渡していきます。一人は、玉姫公園で他のチームからもらったので大丈夫という人もいます。軒下とはいえ横なぐりの雨がかかる厳しい夜を過ごすことになります。

全てのルートを廻り終わり事務所へと戻ります。

軒下ではあるものの横殴りの雨風が容赦なく吹き込んできます。

 

ほしのいえの代表でメルセス修道女会のSr.中村にお話をうかがいました。
ほしのいえは今年30周年をむかえられましたが、ほしのいえが始まった経緯をお聞かせください。

 山谷に関わり合うことになった原点は、私がまだ広島の修道院にいたころのある体験が大きく関わっています、その頃、私は大病して生死をさまよっている時に夢を見て、その中で群衆に抱えられた無原罪のマリア像が現れて私を生へと戻してくれました。その後、東京に出てきて仲間のシスターに誘われて山谷で働いている牧師さんの活動を手伝うことになり、夜、玉姫公園で野宿して寝ているおじさんたちの姿を見たときに、どこかで会ったことがあるという既視感を覚え、その夢を思い出しました。夢の中でマリア様を担いでいた人達はこの野宿をしている人達で、マリア様が生きるようにこの世に帰して下ったのはこの人達に尽くす為であると気が付きました。これが、山谷で私が活動するようになった原点で、1985年頃から修道会の許可を得て山谷で働き始めました。

ワンカップのお酒をやめて、ご飯を食べられるようにプロテスタントの方々と食堂や炊き出し、フリーマーケットをお手伝いしながら多くのおじさんたちと出会いました。当時、隅田川沿いには約200以上のテントが張られおり、山谷では野宿者が人達もあちらこちらに沢山いました。山谷は日雇い労働者の街として男が中心の社会で「闘争」という言葉が盛んに使用されていました。そのような街の中にも女性の野宿者も沢山いて、その人たちと女性的な視点から何ができるかを考えて、もう一人のシスターに声をかけて、聖母マリアのシンボルでもある暁の星にちなんで名付けた「ほしのいえ」を立ち上げました。野宿者の尊厳を守り一人一人が自立していけるように、夜回り活動、居場所作りとしての福祉作業所、ボランティアに山谷を理解してもらうための学習会等の活動を行っていきました。

ほしくずの会との関係について教えてください。

発足当初に一時期活動を中断した時期があり、その間に福音ルーテル教会牧師さんと信者の人達が炊き出しを継続してくれたことがありました。その集まりが「ほしくずの会」として今まで継続して資金的にも人的にも協働してくださっています。今日も会長さんをはじめ3名の会員の方がボランティアとして参加されています。

この30年間の活動の変化を教えてください。

炊き出しのやり方は現在も変わっていません。ただ、当初はおよそ300人以上におにぎり600個程度を配っていました。玉姫公園がいっぱいになってしまって、配布個所を増やした経緯があります。その後、バブル崩壊と高齢化が進み、山谷が労働者の街から福祉の街へと変化していくにつれて、炊き出しの数も減少していきました。コロナの時も私たちの活動は休むことなく継続しました。その間は、他のグループで休んだところもあったので増加しましたが現在では180個程度を配る状態になっています。

山谷地区では高齢化とドヤ住までの孤独化がいわれるなか、ほしのいえではおじさん達が炊き出しのボランティアとして参加しています。社会との繋がりづくりとの役割があるのですか。

65歳以上の人に生活保護が比較的おりやすくなってきましたので、私たちは高齢で病気や就業できない野宿者に対して積極的に生活保護を受けて、ドヤへ、自立できる人はドヤからアパートへと住居を確保するような活動をしてきました。ほしのいえでは単に野宿者の人々に支援をするのではなく、その人々が自立した生活ができるように支援するのを基本としています。ほしのいえに繋がって、生活保護をうける又は就業の機会を得る等して、経済的に自立し、生活もアパートに入り自活します。そして、仲間のつながりとしてほしのいえに集ってきてほしいと考えています。火曜日はみんなが集まってくる日になっていいて、おじさんたちが集まって世間話から公的な給付金の制度の話まで、いろいろな情報交換をしています。

自立したおじさんたちは自分たちが苦しんでいた時にほしのいえがしてくれたことを忘れず、炊き出し等のボランティアとして、ほしのいえの活動を様々な面でサポートしてくれています。また、その人たちがアウトリーチや炊き出しの活動する中で苦しんでいる人達に声をかけて、ほしのいえに繋がれるように連れてくることもあります。ほしのいえはこの当事者の人々の集いの場であるのです。

山谷地区の他の団体や地域との連携はどのように取っていますか。

立ち上げ当時、山谷についてほとんど知らなかった私たちは、キリスト教のグループ、労働組合のグループ等、様々な人々に教えてもらいました。その中で私たちは、シスターの活動としてキリスト教的な人権を大切にする視点を大切にし、他の団体との接点を大切にしながら活動をしていきました。野宿の人々を生活保護へつなげる運動は、医療相談会をやっている他の団体とも共同して行ったりしていました。また、隅田川の河川敷のホームレスに対する襲撃事件が起きたときは、「あうん」や「もやい」を始め地域の活動グループの人々が一緒になって山谷地域の学校をまわって野宿者の人々はどうゆう人なのがという話をして廻りました。自立支援センターの設立に他の団体と共同して入居者の立場に立った施設にするように要望と提案をしたりしました。

また、地元の商店街や地域住民とは、炊き出しの場所等を巡って様々な問題がありましたが、野宿者の命を守るために誠意を持って話し合いを続けました。この地域の理解を得るために、商店の方々や、不動産屋さん、近隣住民と様々な話し合いの機会を持ったことは、おじさんたちが自立に大いに役立っています。おじさんたちが自立するということは地域の中に入って地域の人と暮らすということで、おじさん達に対する地域の理解は大切だからです。

シスターの所には特に女性のホームレスの方の相談があるとのことですが。

女性はDV被害者、職を失ったシングルマザー等、特に行政や施設からの相談があります。女性は共同で生活するのに難しい面がありますが、自立すると一般的に男性より生活力があり生活自体はできるようになります。そして、ほしのいえから離れていけるケースが多いようです。仕事が出来れば、仕事の幅が広い。そして、何かトラブルがあると相談の連絡があります。

30年間、炊き出しで暖かいおにぎりと味噌汁を週一回配り続け、おにぎりと味噌汁に託されたメッセージは何でしょうか。

食べるというということは生きるといいうことであり、その日につくつた温かい食事を提供して、生きている命を大切にするという意味を伝えられればと思っています。

亡くなった仲間のおじさんを共同墓地に葬っていると伺いました。

亡くなったおじさん達の遺骨は、親族が見つからない、親族がいても遺骨の引き取りを拒否されてしまう場合も多く、以前は司教様らのご厚意でカトリックの墓地に納骨をさせていただくケースもありました。

山谷にある光照院のご住職は、自ら野宿者の夜回りをやっていて、また、他のカトリック系の団体ともつながりがある方でした。ほしのいえに関係する方が山谷のホスピス「希望の家」で亡くなった時、住職が見えていて、お墓の話になりました。 

それまでのカトリックのお墓は山谷から距離的に遠く、おじさん達が仲間のお墓参りになかなかいけない状況でした。そこで、皆がもっと簡単にお参りができるところということで、地元の光照院の共同墓地に受け入れてくださるというお話をいただき、入れさせてもらうようになりました。ここには、山友会やきぼうのいえの共同墓地もあります。このお墓の観音像は、宗教を問わずだれでも入っていいんだよという意味を込めて、十字架の付いたロザリオを持っていらっしゃいます。カトリック新聞にも書きましたが、光照院の御住職が東日本の被害者の方々を慰霊する為の大仏を建立するプロジェクトを進めていて、ほしのいえも十字架が印された水晶球を大仏内に収める計画に協力しています。

 

「葡萄の家」訪問レポート

今回は、千葉県柏市にある障がい者のグループホーム「第一ぶどうの家」を訪問しました。この施設は松戸市に本部を置くNPO法人葡萄の家によって設置運営されています。NPO法人葡萄の家は障がい者(児)やその関係者の人たちに対して、障害者総合支援法に基づくグループホーム(共同生活援助)の設置運営やショートステイ、移動支援事業並びに障害に関する人材育成、相談、普及啓発事業などを行っています。現在取り組んでいる主な事業としては、定員4名のグループホーム「第一ぶどうの家」の運営の他、障がい者と健常者がともに集う「おもしろ実習教室」や「ふれあいコンサート」を開催しています。そして、この法人の理事長と副理事長を始め、設立や運営に多くの信徒の方々や神父様方がかかわっておられます。

玄関にはマザーテレサの言葉やマリア像が利用者を見送り、迎えてくれます。

 

「第一ぶどうの家」は東武アーバンラインの逆井駅から歩いて10分ほどの住宅団地の一画に建っています。築50年ということですが、昨年の末に外壁と屋根塗装を終えたばかりとのことで手入れの行き届いた普通の住宅というイメージです。

第一ぶどうの家の外観です。

 

お邪魔すると、理事長の東さんと副理事長の西手さんが玄関で迎えてくれて、まずは施設内を案内していただきました。その後、その日いてくれた利用者の方と昼食をともにしました。昼食後、東さん、西手さん、荒井さんにお話をうかがいました。

左から2人目が西手副理事長、右に東理事長、荒井さんとなります。

 

ダイニングでインタビューをしました。
東さんが障がい者支援について関心を持たれたきっかけは何だったのですか。

20年位前にボランティアとして知的障害者施設をお手伝いにいったことがありました。丁度そのころ、父親を事故で亡くして落ち込んでいる時期がありました。私が落ち込んでふと暗い顔をしていると、いつもは人が食べる分まで取って食べてしまう知的障害を持った仲間が、私の心を読むかのように、自分のデザートを私に渡し食べるようという仕草をしました。その時、知的障害を持った仲間に慰められ、障がい者の人のやさしさにはっとした気持ちになりました、そのことを、知り合いのシスターに話をしたら、シスターから、公教要理でさんざん習った「わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。」というイエス様の言葉の意味がようやく分かったのね。」といわれました。この体験をきっかけに、それまで勤めていた職場をやめて、障がい者福祉施設に勤めることになりました。

インタビューに熱く語る東さん(右)と西手さん。

 

自らグループホームを立ち上げようとしたきっかけは。

私が障がい者施設で働いていた当時は、障がい者が家庭以外で居住する施設が、自宅からかなり離れた地域の交通の便もよくない比較的大規模な施設に入るのが当たり前のようになっていました。例えば、東京の人が秋田にとかもありました。私は、その様な現状の中で、一人一人が地元の近くで、家庭的な雰囲気、つまり都会の中の大きな看板のある施設ではなく、住宅地の一般住宅で生涯暮らすことができる施設ができないかと思い、澤田神父様を始めいろいろな人に相談したところ、静岡のラルシュを紹介されました。ラルシュを訪れて一緒に働いている中で、支援する者とされ者という関係ではなく、仲間として助け合う共同体という考え方に共鳴しました。その後、グループホームを立ち上げてこのような共同体を作ろうと思いました。

実際にグループホームを作るとなると色々大変なことがあったと思いますが。

まず、ホームの基礎となる家の確保の問題がありました。2年間くらいあちらこちら探していると、たまたま、親戚の友人が田舎に戻ることになり築30年の古い家だけれども安く提供できるがどうかという話がありました。見てみると、座敷や応接間があり、改装すれば1階に複数の部屋ができるような間取りになっていて、障がい者の人が1階で居住可能であり、縁側があるので採光が取りやすいなど施設に向いていることが分かりました。また、障がい者施設では重要な周辺の方々のご理解も得られることが分かり、ここに決めることにしました。賃貸ではなく購入にこだわったのは、賃貸の場合施設に合わせた改装をしたものの、代替わりによって大家ともめて出ていかざるを得なくなったケースも何件か見てきていて、入居者の終の棲家となりうる施設でそれは避けたいとの思いで購入する選択をしました。

住宅は入手できたものの築30年という物件であり、障がい者施設への改装は相当の予算を必要としました。当時は、一定規模以上の施設が主流でグループホーム建設には民間の資金に頼らざるを得ませんでした。神父様方や支援者の方のつながりで、日本財団を始めいくつかの支援団体から援助を受けることができるようになり、1年以上かけて改装を行い2009年月に開設に至りました。

今は珍しい廊下があり、各居室に明るい光がはいります。台所でしっかりメンテナンスがされています。

 

施設の現況はどのようになっていますか。

定員が4名で各自が個室で居住できるようになっています。1名が今年突然帰天してしまった為に、現在3名が居住しています。1階には台所と食堂、それに浴室があります。

2階には職員の宿直室と訪問客の為の客室があります。障がい者施設なのでスプリンクラーが全室設置されていて、そのため食堂で焼肉をすると警報が鳴ってしまいます。また、地域の人達に役立てる様にAEDも設置しています。内装や設備も必要に応じて様々な援助金を申請して更新をしていいます。

宿直室が2階にあります。防災の集中コントロールパネルです。

 

ここに住まわれている方の状況に付いてはいかがですか。

ここには、知的障がいや精神障がいの、軽度から重度の方までが入居の対象となります。現在は、重度の方1名、軽度の方2名の方が入居しています。日中は、重度の方はデイケアの施設、軽度の方は障がい者雇用で働きに出ている人もいます。入居のきっかけは行政や知人のケアマネージャーからの紹介で来られる方が多いです。また、親御さんが高齢で、障害を持たれたお子さんの将来的の行き先が心配ということで相談される場合もあります。

現在国の方針で、受刑者や行き場のない人をグループホームで受け入れてほしいという意向がありますが、私共は障がい者に限定をしています。

終の棲家として入居されるケースもあるのですね。

このホームを終の棲家と考えて親が入居させている場合もあり、またそのように考えて住まわれている方が多いと思います。将来的に老人介護が必要になっても、この施設は重度の障がい者の入居者にも対応しているので特に問題はありません。

コロナの影響はどのようなものがありましたか。

コロナの影響は結構ありました。この施設では、重度の人から軽度の人まで一緒に住んでいます。重度の人は、うがいや手洗いという基礎的な予防策が自分ではうまく取れな いために、その人たちを基準として外出などのルールを作らざるを得ませんでした。そうすると、軽度の人はうがい手洗いも出来るのである程度自由に外出出来るはずですが、指定された車での外部作業所への送迎となり、寄り道禁止等、自由を制限せざるを得ませんでした。外部のヘルパーも感染の危険があったため、今までは一緒に外出していたのをやめて、その代わり施設内の人だけで外出するという方針にならざるを得ませんでした。そうなると、軽度の人は重度の人がいない他の施設に移るという事態になりました。一方、残った人は常に一緒に食事をしに行ったり外出したりして関係がより密になったという積極的な一面もありました。

昼食を入居者の方と一緒にいただきました。

 

この施設で行っているプログラムとして、荒井さんが参加しておられる習字があるとのことですが。

この施設では書道をプログラムとして取り入れています。禅に関わることばを集めた本で見本が掲載されているもの利用して、毎回一つの言葉を選んで、みんなでその意味を利用者と一緒になって分かち合い、その後、各自本のお手本を見て書いて、お互いに批評をしあいます。時には、一緒に参加してくださっている神父様にお手本を書いてもらい、それを見ながらかくこともあります。習字は文字を書くという表現行為で自分を解放するという楽しさを共有でき、その後にお互いの作品について話し、その時の代表作を飾ります。習字の後には、皆で自分たちの1カ月の出来事を話し合う時間を持ちます。

習字のボランティアについて語る荒井さんです。

 

施設以外でも色々活動をされていると聞いていますが。

この施設以外で、障がい者と健常者がともに集って楽しい経験ができる機会を提供する活動として「おもしろ実習教室」や「ふれあいコンサート」を開催しています。今度、8月に松戸で行われる「おもしろ実習教室」では、技術士の方を講師に招いて三角ヘリコプターを作って飛ばすという体験型のプログラムを提供します。また、「ふれあいコンサート」は常磐線沿線出身あるいは在住の各方面で活躍中の実力派メンバーによって結成された「バージョン・バロック・アンサンブル」を中心に行ってきました。今度、私共の15周年を記念する演奏会を10月にカテドラルで行う予定にしています。ご興味のある方は、私共ホームページをご覧ください。

現在悩んでいることはありますか。

今まで外部に委託していた入居者の病院への付き添いが、コロナ禍で様々な規制で慣れた方が付き添えるとは限らない状況となり、ヘルパーさんが適正に対処が手出来ない場合があり、ホームの人でやるようになっている。現在、一人ボランティアで私たちホームの職員と一緒に付き添ってくれる人がいるが、継続してお手伝いいただける方がもう少しいればありがたいと考えています。以前は、修道会の比較的若い方が来ていただいたこともあったのですが、現在は難しくなっています。

やっていて良かったと思う瞬間はいつですか。

家庭的な雰囲気を作ろうとしても、どうしても家庭と同じようにはならないのですが、利用者の方を担当しているケアマネージャーの方から、「〇〇さんは、ずっとこの家に住みたいと言っていますよ。」という言葉を聞くと、やっぱりうれしいですね。また、外出から帰ってきたときに明かりがついていてお帰りといってくれる人がいるのがうれしかったということも聞きます。我々が当たり前と思っていることが本当は大切だということを思い返させてくれます。

 

カリタス東京活動報告

東京同宗連総会がケルンホールで開催されました

2024年の東京同宗連(同和問題にとりくむ宗教教団東京地区連帯会議)総会が、6月10日関口会館ケルンホールで開催され、諸宗教教団から約40人が集まりました。現在、東京同宗連の事務局はキリスト教系教団(日本基督教団、聖公会、カトリック)が協力して担っており、カトリックから会場を提供してケルンホールでの開催となりました。カリタス東京からは司教協議会部落差別人権委員会の東京教区担当者である枝松緑さんが参加しました。総会後の記念講演では、今年の日本アカデミー賞で、映画『福田村事件』にて優秀監督賞を受賞された森達也さんが「福田村事件について学ぶ」のテーマで話をされました。

 

ステラ・マリスの活動でコンテナ船を訪問しました

カトリック教会の船員司牧の活動は、「ステラ・マリス」の名称で世界中で展開されています。7月4日ステラ・マリスの訪船活動(船員司牧の目的で船を訪問する活動)で東京青海埠頭に行ってきました。 東京教区の船員司牧担当のエドウイン神父、CTIC職員、カリタス東京事務局が参加しました。コンテナ船を訪問し、船員食堂に招いていただき乗組員の方々にお会いしました。訪問した船が太平洋航路の船ということもあってフィリピン人の船員も多く、同郷のエドウイン神父とタガログ語で話し合う場面もあり、喜んでいただきました。