愛の奉仕活動紹介
愛の奉仕活動紹介: Vol.19 NPO法人レジリエンス
2024年11月21日
「NPO法人レジリエンス」インタビューレポート
今回は、NPO法人レジリエンスの代表中島幸子さんにお会いして、その活動についてお話を伺いました。NPO法人レジリエンスは中島さんが中心となって2003年に設立され、21年間にわたってDVや虐待、モラハラ、いじめ、パワハラ、その他さまざまな原因による心の傷つきやトラウマに焦点をあて、講座や講演会を通じて情報を広げる活動をしています。
インタビューに答える中島代表です。
中島代表がNPO法人レジリエンスを立ち上げる経緯について教えてください。
私は子供の頃より海外生活で生活をしていて、学生生活をアメリカで送っている時、4年半にわたってデートDVによる様々な暴力を経験しました。そのDVから脱出した後、私はカウンセリングやセラピーなど様々な良い治療を受けることができたため、少しずつ自分の中にある力で回復し始めました。ちょうどその頃に、私の中にぼんやりとあった「トラウマで生き苦しさを感じている人のために何かしたい」という思いをより強く抱く様になりました。このような思いで、アメリカにおいて大学院に入り直してソーシャルワークを学び、最後の論文は日本のDV防止法について書きました。
2002年に帰国して活動を開始する前にリサーチをした結果、その当時、日本にDVを受けた人のためのシェルターはありましたが、DVやトラウマについて伝えていくプログラムが殆ど無いことが判りました。そこで、2003年からDVやトラウマについて伝えていくオープン講座を始めました。トラウマを受ける人は女性に限りませんが、当時の自分のキャパシティーの範囲からということで、女性対象の講座からから始めました。内容は6ヶ月を掛けて12回のテーマで行うという現在の「こころのcare講座」とほぼ同じでした。開講当初から、結構多くの受講者が来られたので、講座の必要性があったということを感じました。この講座を一人で開催するのは難しいので、当初より西山さんと二人で行ってきました。
私は暴力被害者であることを初めからオープンにしていたので、様々な団体から当事者としての講演依頼がくるようになり、昨年は全国で150回を超える講演を行いました。また、西山さんと栄田さんも講演を担当していて、関東を中心に私を超える回数の講演を行なっています。
中島代表はDVというよりはトラウマに焦点を当ててお話しをされますが、その目的はどこにあるのでしょうか。
DVという言葉は一時期盛んに使われましたが、DVという言葉は夫から妻への暴力というイメージが強く、どうしても女性限定の問題としてとらわれやすいのです。しかし、暴力の問題は同性間、親と子供等々様々な形で起きており単なる女性の問題ではありません。実際、夫からDVを受けた女性が、幼少期に親から虐待を受けていたというケースもあります。レジリエンスの活動は女性の問題に限らず、色々な傷つきを受けた人々を対象とするためにトラウマに焦点を当てています。
中島代表がご自分のDV体験を話されるのは、ご自分が他にも同じ様な経験をしている人がいることを知った時に受けた思いが影響しているのですか。
自分の暴力体験を話すのは最初の頃は辛く、サポートを受けながらやっていました。私一人の体験であり、何か意味があるかと思いつつも、他の人に役に立つのであればという意味で発言しています。他の社会的孤立と同じ様に、「☆(ほし)さん」達にとって自分だけという思いは感覚的な孤独感を生みます。その中で、私の体験を聞いて、自分だけではないという思いを持ってもらえれば、孤独感は和らぐと思います。私の経験がそのように伝わればいいと思います。
レジリエンスという名前に込められた思いについてお話しください。
活動を始めた当時、レジリエンスという言葉はあまり使われておらず、むしろエンパワーメントという言葉がよく使われていました。レジリエンスの言葉の中には、「それぞれが持つ力は一人一人の中にある」という前提が含まれています。傷つけられた人の中にもその人らしい力が必ずあります。レジリエンスという言葉は分かりにくいのですけれども、日本語ではこれを表す言葉がありません。
レジリエンスでDV被害者を「☆さん」と呼ぶのはなぜですか。
「被害者」だと相手が知った途端に、相手から可哀想な人と言われることがあります。被害者に共感するのは良いと思いますが、その人が可哀想かどうかは周りの人に決められることではないと思います。トラウマを受けた被害者を「☆さん」と呼んでいるのは、その方々は自分の中に力があり、その力を発揮する力すなわち輝きをも持っていることを表すためです。その輝きかたは、「自分らしさ」や「今生きている」など様々です。それらの人に可哀相な人という偏見ではなく、尊敬を持つことを表しています。
中島代表とレジリエンスが書かれた本となります。ぜひお読みいただければと思います。
レジリエンスの様々な活動内容について、初めに「こころのcare講座」から教えていただけますか。
「こころのcare講座」は月に2回6ヶ月間で合計12回のプログラムで構成されています。この講座は自分の中の抱える傷つきに対して色々な切り口、例えば「暴力」、「コミュニケーション」、「境界」等から自ら焦点をあてることで、自分なりに少しずつ変えていけるようなプログラムとなっています。講座ではファシリテーターが受講者の作業をしやすくします。ファシリエーターから受講者に様々な資料が提供されますが、何か書いたものを回収するとか、皆の前で話を求めるとかはしません。講座の中では、所々に質問の場もありますが、答えるのは自由ですし、質問に対する正解はなく人それぞれが書いた答えがその人には正解となるのです。オープン講座と言われた頃の考え方は踏襲しており、途中で退席、質問に答えない等受講者の自己決定を優先しています。
この講座の内容は私が治療の中でカウンセラー・セラピスト等の治療者から得られたもの等を基礎にしています。
コロナの時に講座をズームで行うようになり、このオンライン講座は現在も続いていますが、参加対象が広がった様に思います。現在、講座は5名のメンバーが担当しています。
こころのcare講座に通うようになるきっかけと、講座を受けて「☆さん」はどのように変化を感じるのでしょうか。
特にアンケートは採っていないのですが、情報誌をみてくるか、ネット検索でたどり着いて来られるのではないかと思います。
自分の中で何かが違う、何か生きているのが辛い等の生き辛さを感じている方が、講座に参加して、こうゆうことだったのかと気が付くようになります。また、DVの切り口で参加した方が、プログラムの中で掘り下げると
親からの影響が強くあったということが解るようなことはよくあります。
受講者のトラウマからの回復は螺旋階段を登る様なもので、みえる景色は一気には変わらないが少ずつ変わってくるようになります。
ファシリテーター養成講座はどのような方を対象として何を目的としているのですか。
毎年1月2月3月の三ヶ月間回開催していますが、受講者には講座を開く人もいれば、大学の先生、セラピスト、カウンセラー等様々な方が参加します。私たちの資料は大切に使ってもらいたいけれども、自由に利用してもかまわないことにしています。一番大切なのは、その利用者の人たちの回りの「☆さん」達に一人でも多く資料の内容が伝わる様にしてもらいたいのです。私たちの活動の思いは、一人でもそれで楽になってもらうことにあるからです。
講演活動でのテーマはどのようなものとなっているのですか。
私の場合は、テーマはトラウマ全体を触れる様にしています。また、西山さん達は埼玉や千葉の学校からの依頼でデートDVをテーマとした講演を中心に行っています。若い人に対する講演は予防効果もあると思います。
「☆さん」や加害者とその生育歴の関係はどの様なものですか。
いわゆる負の連鎖と呼ばれる生育歴による原因はあると思いますが、それは、暴力を学んでしまったからだからだと思います。この影響は、暴力に関する学び落としをすることで軽減することができます。
DVの背後にある支配関係に焦点を当てていますが。
DVにおける暴力は人が支配しようとして使う手段にすぎません。問題なのは暴力の背後にある支配関係であると言えます。人は特権意識を持つことで支配関係を作っていくのです。自分が絶対正しいと思う特権意識がある人は、他人を見下すようになり支配関係を作っていきます。例えば、満員電車に乗って、駅員に文句を言っている人がいますが、それは、駅員に言っても何にも解決しないけれども、駅員を下に見くだしているもので、支配関係を作り易い人だと思います。文句自体が暴力で、本人に特権意識があるから平気でその行為を行うのです。自分の上司にはその様な話し方はせず、相手を見て使い分けをするのです。これは差別意識と同じものです。
DVを早期に自覚するためには何が必要でしょうか。
私たちの「こころのcare講座」は毎回30人程度の人が受講していて、21年間続いているということは、DVの問題が解決せずに続いていると言うことを表しています。この様な状況では、社会が積極的にDVやトラウマの問題に取り組む姿勢を強化することが必要です。DVは無自覚な場合が多いのです。例えば、しつけはその子供が安全で健康に生活するために必要なものですが、子供がこの情報を知らずに、親から一方的にしつけだと言われ続けて虐待を受けていれば、子供は虐待に気づけません。子供に対する性的虐待も、大人が子供に秘密にするようにと約束させた場合、自分がつらくなる約束は破っても構わないという情報がなければ、子供が約束は守って表には出しません。また、女子大などで性暴力についてのアンケートを取ると、それに逢ったことがないとする回答が圧倒的に多いのです。しかし、痴漢にあった女子大生は多いはずで、女子大生の中で性暴力の一つである痴漢を性暴力と考えていないという事実があります。これが、性暴力に対する関心の薄さの原因の一つだと思っています。このように、虐待やDVにあっているということを気づかせるような情報を社会の中で出していく必要があります。
少年院を訪問して、青少年が受けたトラウマに焦点を当てた活動をされているということですが、その活動について教えてください。
少年院での活動は11年前から行っています。非行少年と言われる子供たちの多くは虐待を経験し傷ついていて、その子供たちに会うために行っています。私の中で人間として生きづらさを抱えている人に伝えていきたいという思いがあるからです。
3年前からは法務省のプログラムとして毎年全国の少年院約20施設を訪問するようになっています。最近は子供達と1対1で面談するケースも増えています。その中で、少年少女とも外の社会で受けた虐待の話が出てきます。また、家族との繋がりも希薄のケースが多く、発達障害等のレッテルを貼られた子供もいます。
家庭の中が安全な環境でなければ、集中して何かを行うことは難しくなるのは当たり前で、集中できなくなると発達障害というレッテルを貼られてしまいます。そのような子供が必死に社会に対応しようとして、メモを取りながら話を聞こうとすると、「メモを取るな。」と言う社会があります。しかし、これが足の不自由な人に車椅子を使うなと言っているのと同じであることに社会の人は気づいていません。発達系、精神系に対する社会の無理解の例は沢山あります。また、子供達からは職員さんから「他人を大切にしましょう。」とよく言われるけれども、自分が大切にされた記憶がないので大切にするとはどのようにすることなのか良くわからないという話もよく聞かされます。
また、自分たちは過ちを犯して少年院に入れられているけれども、自分たちに虐待をした人たちにはなにも処罰されていないことに矛盾を感じている子供もいます。このような中で、少年たちから社会に出た後が不安であると言われるのもよくわかる気がします。
活動をやっていて良かったと思う時はどんな時ですか。
以前山手線に乗っていた時に、突然声をかけられて、「数年前にこころのcare講座に通っていて、お陰様で現在は安全な所にいることができています。」と言われた時や少年院を訪問中に、子供達との会話の中で彼らに一瞬笑顔が見えたときに活動をやっていて良かったと感じます。