愛の奉仕活動紹介
愛の奉仕活動紹介: Vol.12 ステファノ会
2024年05月20日
「ステファノ会」訪問レポート
今回は東京都江戸川区にあるカトリック葛西教会に所属する活動グループ「ステファノ会」を訪問しました。カトリック葛西教会は、東京メトロ東西線の西葛西駅徒歩で15分ほどの位置にあり、住宅とマンションに囲まれた地域にあります。カトリック葛西教会は1969年に同区松江に設立された「カトリック松江教会」を前身としています。カトリック松江教会の献堂当時は信徒が37世帯でしたが次第に手狭になり、1985年に人口の増加が見込まれた現在の場所にカトリック葛西教会として移転しました。カトリック松江教会の当時から聖アウグスチノ修道会が司牧を担当し、教会の2階には同会の葛西修道院が併設されています。国際化の進んだ教会として、ベトナム、フィリピン、インド、スリランカ等々数多くの外国人信徒がミサに預かっています。
カトリック葛西教会の外観です。
アメリカから取り寄せられたステンドグラスとフランシスコ会から譲り受けた十字架です。
左から佐藤さん、チャーリー・ポムセノ神父様、主任司祭柴田神父様、
ブラザー井出さん、上村さん。
ステファノ会は教会に食糧支援を求めてくる、生活困窮者の方々のためにカップラーメンやパックご飯等の食糧を随時手渡して支援する活動を行っています。利用者の方が随時取りに来るということで、いつも決まった日に取りに来る方がいる木曜日の午前中にお邪魔しました。まず、この活動に大きくかかわっている聖アウグスチノ修道会のブラザー井出さんと代表の佐藤さん、教会委員長の上村さんにお話をうかがいました。
ステファノ会が立ち上がる前から、教会周辺の野宿者を中心とした生活困窮者への食糧支援をしていたとのことですが。
1985年に葛西に教会が移転した後ぐらいから婦人会が、教会周辺の生活困窮者の方への食糧支援は行っていました。その背景には、初代の主任司祭トマス・パーセル神父様の存在があったと思います。トマス神父様はアメリカの貧しい炭鉱町で育ったことから、日本においても貧しい地区を選んで共同体をつくり、貧しい人々に寄り添って活動をしていました。
1993年にそれまでの婦人会の「小さき人々の給食」活動を福祉部に移行して行うこととなりました。そして、2000年には当時の主任司祭であったモーリス・マホニ―神父様からの後押と、フードバンクから東小岩にあった聖母被昇天会経由でカルフールのパン類の寄付をもらえることになったこともあって食糧支援活動が本格化しました。当時の活動は、毎日朝ミサの後におにぎりを作り、そのおにぎりとパンなどの食糧を10時頃から教会で配布するというものでした。当時の記録を見ると、配布数は年間で2000年には700食、2001年には9,000食、それ以降、およそ6,000食から8,000食の間で推移しており、かなりの活動をやっていたことが分かります。しかし、支援を受けていた聖母被昇天会が東小岩から引き上げられてフードバンクの支援が難しくなり、また、スタッフの高齢化も進んだことから2013年末に活動は終了しました。その後、ブラザーが対応をしていました。
その後ステファノ会が立ち上げられた経緯はどのようなものでしたか。
2017年に2019年の献堂50周年記念に向けて当時の主任司祭ヘスース神父様のもとでステファノ会として食糧支援をする活動が再スタートしました。再スタートに当たって、一部の2013年当時の利用者の方に広報のチラシを配布してもらうこともやりました。再開当初の利用者は3名から4名くらいでした。
ステファノ会の活動内容について教えてください。
現在の活動は食糧支援を求めてきた人々にカップラーメンやパックライスをお渡ししています。
取りに来られる方はどのような方ですか。
教会周辺の野宿者、生活保護で施設に入っている方、生活保護を受けて自立している方等様々なかたが利用されています。事前の登録はしていませんが、利用された方のお名前と食糧の数量を記入してもらうことになっています。現在把握している範囲では15名前後の人が利用されています。長期で利用している人は野宿者2名と、生活保護の人が3名くらいです。年間の配布食数は2020年が516食で2023年は900食と増加傾向にあります。
随時取りに来られる方がいるというということですか。
利用者のほとんどが午前中に取りに来られます。いつも取りに来られる方は曜日と時間がだいたい決まっています。しかし、特に時間等を指定していませんので、来られた時は教会事務の方がブラザーあるいは神父様に伝え、ブラザーや神父様がいないときは事務の方、もしくはその場にいる方で対応をしています。
食料を取りにこられた方には、ノートに名前と受け取った食料を記入してもらいます。
1回に渡す食糧の量は決まっているのですか。
目安として4から6食分をお渡しするようにしています。週1回で取りに来られる方には12食分を限度としてお渡ししています。利用者の方は週一回程度来られる方が多く、隔日で来られるかたもいます。
ステファノ会の食料備蓄です。配布する食料の目安が表示してあります。
食料品以外にもお渡しするものはありますか。
風邪に罹ったとか怪我をしたとかいう場合は市販の風邪薬を渡したり、消毒剤を渡したりもします。夏は蚊取り線香、虫よけ、石鹸などを渡すこともあります。コロナ前にはクリスマスや復活祭の時にプレゼントを用意したりもしていました。金銭を渡すことはしていません。
利用者にアドバイスしていることは何ですか。
野宿をしている利用者の人には、自立するための第一歩として生活保護を受けるように勧めています。実際、利用者の方の中で生活保護を受けて野宿から脱した人が何人かいます。
食糧の調達資金はどのようにしているのですか。
コロナ前はバザーの収益や特別献金を受けていましたが、現在は教会の会計から支援を受けています。
コロナの時はどのようにしたのですか。
コロナの時は毎月1回第一金曜日に1か月分を配布していました。活動を休止することはありませんでした。
最近の利用者の状況の変化は
少し前までは、駅周辺でも野宿者を見かけていたが最近は、野宿者を見なくなっています。高齢化して生活保護に繋がり施設に入られたか、お亡くなりになった方もいると思います。利用者の方でも、来なくなったと思ったらなくなっていたという話もあります。また、若い人が仕事の見つかるまで短期間利用する場合もあります。
最後にこの活動をしていてよかったと思うときはどんな時ですか。
支援をしていた野宿者が生活保護に繋がり挨拶に来られた時や長年支援してきた人が仕事を見つけて「今までお世話になりました。」とあいさつに来られた時はすごくうれしい、やってよかったと思う瞬間です。また、そうゆう方が決して楽ではないでしょうけど支援物資を持ってきてくれることもあります。
この仕事に関わる歓びについて語るブラザー井出さん
このインタビュー中に利用者の方が食糧を受け取りにこられましたので、この利用者の方のお話をお伺いしまた。
ホームレスをしている時に仲間の紹介で2009年6月頃から葛西教会の食糧支援を利用させてもらっています。その後、ホームレスから生活保護につながり施設に入り、2017年に食糧支援を再開するときに自分の仲間にチラシを配布したのを記憶しています。
西葛西方面では空き缶回収をしている人が5名くらい、多くの仲間は福祉に繋がって施設に入っています。亡くなった仲間もいます。東京オリンピックとコロナで施設に入った人が増えています。自分は自活が出来るのでアパートに暮らしているが、長年ホームレスをしていると健康の問題等で自活できない人も多いと思います。