お知らせ
教区ニュース「カリタス東京通信2025年4月1日4月号」
2025年04月09日
東京同宗連第44回現地研修会に参加して
部落差別人権委員会東京教区担当者
枝松 緑
1月29日、30日水平社発祥の地である奈良県にて東京同宗連(「同和問題」にとりくむ宗教教団東京地区連帯会議)の現地研修会が開催され、加盟10教団から23人が参加した。
一日目訪問した水平社博物館では、水平社が創立され「水平社宣言」が生まれた背景などについて文献や写真が展示されていた。橿原(現・御所市柏原)の数人の青年たちは、ある論文に大きな衝撃を受け、西光寺門前近くに「水平社創立事務所」を掲げた。組織名の「水平社」は「絶対に差のできないものは『水平』である」から名付けられている。1922年2月水平社創立趣意書「よき日の為に」を発行、1922年3月全国水平社創立大会が開催され、その場で採択されたのが「水平社宣言」である。柏原では、環境・風景・街の佇まいなど彼ら青年たちの育ちの体験を感じ、また、当時の思想哲学的に思索材料・文献・人的交流に恵まれたと思われる「人権のふるさと公園」も訪れた。博物館玄関前方に本馬山(ほほまのおか)、間に満願川が流れ、小橋を渡り、西光寺、阪本生家跡、駒井宅跡地、東に中方川、曽我川があり、当時皮革産業地域として栄えていた土地である。彼らは、一族、親、自らが産まれながらに受け、置かれ、扱われたことを自分たちの言葉で表し宣言した。
二日目は、おおくぼまちづくり館を訪れ、天皇制による「洞(ほうら)部落強制移転」について学んだ。江戸封建制から公武合体、大政奉還、明治維新へと突き進む中、神武天皇陵の拡張を画策中であった政府宮内省により洞部落の人たちが強制移転となった。洞村には約0.13平方キロの面積に208戸1054人が住み、約半数は土地・家を持たない人たちだった。村の根本的改善を考えた洞村の人たちは、洞村移転を促す民間の動きもあり、土地全部を宮内省に献納、堂々たる条件付きの「同意書」を残している。交渉の過程では、移転先の土地から外へ出てはいけないとされる居住制限は「土地家屋を所有すとも、一切居住しえざるごときは、居住の自由を保障せられたる憲法より受くる臣民の特権を剥奪せらるるものなり」との意見書も残されている。当時から相手と対等平らな関係性を保ち、人権意識が高く、目覚めていた方々だったと感じ入った。神武天皇陵前から山側へ分け入り登ること約一時間にある旧洞部落跡地を歩いた。現在は木々に覆われた山地、人の生活を感じさせるものが少ないなか、石積みで囲われ水を湛えた井戸が残っていた。なぜかホッと安堵。しばしそこで生活した方々を想った。
天皇制と部落差別の関係を神武天皇陵と洞部落が象徴している。「部落完全解放『よき日の為に』の『よき日』を迎えるまで語り継ぎたい」との案内人の想いを受け止めつつ現地研修会を終了した。