お知らせ

教区ニュース「カリタス東京通信2025年10月1日10月号」

2025年10月03日

「ハンセン病への差別が生んだ冤罪〜菊池事件」

カトリック東京正義と平和の会
溜口郁子

去る5月24日(土)、四ツ谷のカトリック麴町教会ヨセフホールに菊池事件再審弁護団共同代表の徳田靖之弁護士をお呼びして「菊池事件」のお話を伺いました。この事件は熊本県菊池郡で1951年に発生した村役場職員宅への爆破事件と1953年に起きた同職員殺害の罪で、ハンセン病(実際にこの病だったかも定かではありません)のFさんが、ハンセン病に認定されたことによる恨みで起こしたとされて、証拠不十分なままに逮捕され、無罪を訴え続けたにもかかわらず非公開の「特別法廷」において死刑判決を出され、1962年に移送先の福岡刑務所で死刑が執行されてしまった事件です。Fさんは不当逮捕の過程で警察官の発砲により重傷を負わされ、耐え難い激痛の中で取り調べを受けたとされています。また、犯人として拘留されながら、約10年間の裁判の中でも無罪を主張していた末の死刑執行でした。その法廷での経過もハンセン病患者に対する偏見と差別に満ちたものだったそうです。

ご存知の方も多いと思いますが、ハンセン病隔離政策は1907年(明治40年)から約90年も続いた政策です。恐ろしい伝染病とされたことから、当時の大日本帝国が大国の仲間入りをする中で、欧米では克服されていた病なのに我が国に患者がいることは「国の恥」だとされたのです。もし患者として認定されてしまったら、無理やり家族と引き離されて一生各地の療養所に隔離されました。そして人としてのあらゆる自由と尊厳を奪われて、所内では手足の不自由な状況でも様々な作業に従事させられました。また、その死後に骨となってすら故郷に帰ることは許されなかったのです。

徳田先生は会衆に訴えかけました。「この事件の再審を勝ち取るということは、日本の裁判のありようを根本から問い直すこと。また、日本社会がハンセン病に対して犯してしまった過ちに向き合い、我がこととして考えていただきたいのです。部落差別冤罪の狭山事件の石川一雄さんは亡くなってしまったけれど、その闘いが私たちの歴史をどれほど前に進めてきたか。世の中の歴史は常に名もなき人々が貢献して勝ち取ったものです」。そしてお話の中でさらに強調しておられたのは、「多数の幸せのために少数者が犠牲になってはいけない」ことでした。「それは、あのコロナ禍において最初の頃に起きた感染への差別と偏見でも見られたことです」と。会場に感動の静けさが広がりました。

終わりの挨拶の中で当会の担当司祭(旧カトリック東京正義と平和委員会の時から)大倉神父様は述べられました。「私たちはハンセン病にしっかり向き合ってきたとは言えないのです。宗教者がハンセン病差別を生み出していることに気付かなくては、この問題を解決することはできないです」と。そして再審法改正にも触れてくださいましたが、まさにこれまで再審法改正は冤罪被害支援者の悲願だったのです。それは袴田事件の袴田巖さんの半世紀以上に及ぶ苦しみがなくては今日に至らなかったことはとても残念ですが、そこには本当に沢山の冤罪被害支援者や再審法改正問題に携わってこられた弁護士さんたちの働きがあってのことでした。決して諦めず「くすぶる灯心を消さない」(イザヤ書)を貫いて来た徳田先生のような方の不断の努力にもよるものです。