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教区ニュース「カリタス東京通信2024年7月1日7月号」

2024年07月01日

平和−正義が創り出すもの−

小山夏比古(カトリック東京正義と平和の会・町田教会信徒)

今年もまた平和旬間が巡って来ます。広島への原爆投下から敗戦までの10日間、日本人は何を考え、どう行動したのでしょうか?あれから79年目の夏です。

私たち日本人が平和について考える時、その拠り所とするのは日本国憲法であり、キリスト者としては「平和を実現する人は幸いである」(マタイ 5・9)というイエスの言葉です。 

日本国憲法の前文はこう謳っています。「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義を信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う。われらは全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和の内に生存する権利を有することを確認する。」この前文で確認された「平和的生存権」が、まさに第9条の「戦争放棄」へとつながるのです。憲法の三本柱である、主権在民、基本的人権、平和主義のうち、先の二つはフランス人権宣言がその源流ですが、平和主義は日本の先の戦争に対する反省から生まれたものです。

また、第12条は「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。」と規定しています。すなわち、「平和のうちに生存する権利」もまた「不断の努力」によって保持しなければならないのです。

第二次世界大戦後の歴代教皇は平和について多くのメッセージを残しています。第2バチカン公会議の「現代世界憲章」には、「平和は単に戦争がないことでもなければ、敵対する力の均衡を保持することでもなく、独裁的な支配から生じるものでもない。平和を『正義が作り出すもの』(イザヤ32・17)と定義することは正しく、適切である。(中略) 平和は永久的に獲得されたものではなく、たえず建設されるべきものである。」と書かれています。また、教皇フラシスコは広島で、聖ヨハネ23世の言葉を引用し、「平和は、それが真理を基盤としていないなら、正義に従って築かれないなら、愛によって息づき完成されないなら、自由において形成されないのなら、単なる『発せられることば』に過ぎなくなる、わたしはそう確信しています。」と語りかけました。そして私たちはミサの度に「平和のあいさつ」を交わすのです。

さて、日本政府は2015年「集団的自衛権」の行使を容認、その後ロシアによるウクライナ侵攻、「台湾有事」や「北朝鮮の脅威」を口実に、世界情勢が一触即発であるかのように国民を煽り、戦争放棄を決めた憲法を無視し、「敵基地攻撃能力」を持つ兵器を整備し、南西諸島に自衛隊基地の建設やミサイル配備など軍備を増強、戦争準備を進めています。

これらすべてのことに思いを巡らすとき、今この国で起きていることに対して、私たちキリストを信じる者が如何に考えどう行動すべきなのか、おのずと明らかなのではないでしょうか?