カリタス東京ニュース

カリタス東京ニュース 2024年6月号

2024年05月20日

インフォーメーション

能登半島地震ボランティア募集情報

カリタスのとサポートセンター(以下、センター)は、カトリック名古屋司教区が設置した事務局です。センターでは現在、石川県七尾市のカリタス七尾ベースで活動するボランティアを募集しています。こちらのページで募集要項をご理解の上お申し込みください。不明な点は、ベースへ直接の連絡はせず、センター(ボランティア受付 070-1220-7495)にまずお問い合わせください。

 

講演会のお知らせ

  • 日時:6月10日(月) 午後3時~5時
  • 場所:関口会館ケルンホール
  • 講師:森 達也 さん (ドキュメンタリー作家)
  • テーマ:「福田村事件について学ぶ」
  • 主催:東京同宗連(「同和問題」にとりくむ宗教教団東京地区連帯会議)

*資料代として参加費1000円

 

愛の奉仕活動の紹介コーナー

「ステファノ会」訪問レポート

今回は東京都江戸川区にあるカトリック葛西教会に所属する活動グループ「ステファノ会」を訪問しました。カトリック葛西教会は、東京メトロ東西線の西葛西駅徒歩で15分ほどの位置にあり、住宅とマンションに囲まれた地域にあります。カトリック葛西教会は1969年に同区松江に設立された「カトリック松江教会」を前身としています。カトリック松江教会の献堂当時は信徒が37世帯でしたが次第に手狭になり、1985年に人口の増加が見込まれた現在の場所にカトリック葛西教会として移転しました。カトリック松江教会の当時から聖アウグスチノ修道会が司牧を担当し、教会の2階には同会の葛西修道院が併設されています。国際化の進んだ教会として、ベトナム、フィリピン、インド、スリランカ等々数多くの外国人信徒がミサに預かっています。

カトリック葛西教会の外観です。

 

アメリカから取り寄せられたステンドグラスとフランシスコ会から譲り受けた十字架です。

 

左から佐藤さん、チャーリー・ポムセノ神父様、主任司祭柴田神父様、
ブラザー井出さん、上村さん。

 

ステファノ会は教会に食糧支援を求めてくる、生活困窮者の方々のためにカップラーメンやパックご飯等の食糧を随時手渡して支援する活動を行っています。利用者の方が随時取りに来るということで、いつも決まった日に取りに来る方がいる木曜日の午前中にお邪魔しました。まず、この活動に大きくかかわっている聖アウグスチノ修道会のブラザー井出さんと代表の佐藤さん、教会委員長の上村さんにお話をうかがいました。

ステファノ会が立ち上がる前から、教会周辺の野宿者を中心とした生活困窮者への食糧支援をしていたとのことですが。

1985年に葛西に教会が移転した後ぐらいから婦人会が、教会周辺の生活困窮者の方への食糧支援は行っていました。その背景には、初代の主任司祭トマス・パーセル神父様の存在があったと思います。トマス神父様はアメリカの貧しい炭鉱町で育ったことから、日本においても貧しい地区を選んで共同体をつくり、貧しい人々に寄り添って活動をしていました。

1993年にそれまでの婦人会の「小さき人々の給食」活動を福祉部に移行して行うこととなりました。そして、2000年には当時の主任司祭であったモーリス・マホニ―神父様からの後押と、フードバンクから東小岩にあった聖母被昇天会経由でカルフールのパン類の寄付をもらえることになったこともあって食糧支援活動が本格化しました。当時の活動は、毎日朝ミサの後におにぎりを作り、そのおにぎりとパンなどの食糧を10時頃から教会で配布するというものでした。当時の記録を見ると、配布数は年間で2000年には700食、2001年には9,000食、それ以降、およそ6,000食から8,000食の間で推移しており、かなりの活動をやっていたことが分かります。しかし、支援を受けていた聖母被昇天会が東小岩から引き上げられてフードバンクの支援が難しくなり、また、スタッフの高齢化も進んだことから2013年末に活動は終了しました。その後、ブラザーが対応をしていました。

その後ステファノ会が立ち上げられた経緯はどのようなものでしたか。

2017年に2019年の献堂50周年記念に向けて当時の主任司祭ヘスース神父様のもとでステファノ会として食糧支援をする活動が再スタートしました。再スタートに当たって、一部の2013年当時の利用者の方に広報のチラシを配布してもらうこともやりました。再開当初の利用者は3名から4名くらいでした。

ステファノ会の活動内容について教えてください。

現在の活動は食糧支援を求めてきた人々にカップラーメンやパックライスをお渡ししています。

取りに来られる方はどのような方ですか。

教会周辺の野宿者、生活保護で施設に入っている方、生活保護を受けて自立している方等様々なかたが利用されています。事前の登録はしていませんが、利用された方のお名前と食糧の数量を記入してもらうことになっています。現在把握している範囲では15名前後の人が利用されています。長期で利用している人は野宿者2名と、生活保護の人が3名くらいです。年間の配布食数は2020年が516食で2023年は900食と増加傾向にあります。

随時取りに来られる方がいるというということですか。

利用者のほとんどが午前中に取りに来られます。いつも取りに来られる方は曜日と時間がだいたい決まっています。しかし、特に時間等を指定していませんので、来られた時は教会事務の方がブラザーあるいは神父様に伝え、ブラザーや神父様がいないときは事務の方、もしくはその場にいる方で対応をしています。

食料を取りにこられた方には、ノートに名前と受け取った食料を記入してもらいます。

1回に渡す食糧の量は決まっているのですか。

目安として4から6食分をお渡しするようにしています。週1回で取りに来られる方には12食分を限度としてお渡ししています。利用者の方は週一回程度来られる方が多く、隔日で来られるかたもいます。

ステファノ会の食料備蓄です。配布する食料の目安が表示してあります。

食料品以外にもお渡しするものはありますか。

風邪に罹ったとか怪我をしたとかいう場合は市販の風邪薬を渡したり、消毒剤を渡したりもします。夏は蚊取り線香、虫よけ、石鹸などを渡すこともあります。コロナ前にはクリスマスや復活祭の時にプレゼントを用意したりもしていました。金銭を渡すことはしていません。

利用者にアドバイスしていることは何ですか。

野宿をしている利用者の人には、自立するための第一歩として生活保護を受けるように勧めています。実際、利用者の方の中で生活保護を受けて野宿から脱した人が何人かいます。

食糧の調達資金はどのようにしているのですか。

コロナ前はバザーの収益や特別献金を受けていましたが、現在は教会の会計から支援を受けています。

コロナの時はどのようにしたのですか。

コロナの時は毎月1回第一金曜日に1か月分を配布していました。活動を休止することはありませんでした。

最近の利用者の状況の変化は

少し前までは、駅周辺でも野宿者を見かけていたが最近は、野宿者を見なくなっています。高齢化して生活保護に繋がり施設に入られたか、お亡くなりになった方もいると思います。利用者の方でも、来なくなったと思ったらなくなっていたという話もあります。また、若い人が仕事の見つかるまで短期間利用する場合もあります。

最後にこの活動をしていてよかったと思うときはどんな時ですか。

支援をしていた野宿者が生活保護に繋がり挨拶に来られた時や長年支援してきた人が仕事を見つけて「今までお世話になりました。」とあいさつに来られた時はすごくうれしい、やってよかったと思う瞬間です。また、そうゆう方が決して楽ではないでしょうけど支援物資を持ってきてくれることもあります。

 この仕事に関わる歓びについて語るブラザー井出さん

このインタビュー中に利用者の方が食糧を受け取りにこられましたので、この利用者の方のお話をお伺いしまた。

ホームレスをしている時に仲間の紹介で2009年6月頃から葛西教会の食糧支援を利用させてもらっています。その後、ホームレスから生活保護につながり施設に入り、2017年に食糧支援を再開するときに自分の仲間にチラシを配布したのを記憶しています。

西葛西方面では空き缶回収をしている人が5名くらい、多くの仲間は福祉に繋がって施設に入っています。亡くなった仲間もいます。東京オリンピックとコロナで施設に入った人が増えています。自分は自活が出来るのでアパートに暮らしているが、長年ホームレスをしていると健康の問題等で自活できない人も多いと思います。

 

「友愛会」訪問レポート

今回は東京都台東区にある友愛会を訪問しました。友愛会は山谷地区にあり、2000年から住む場所や居場所がない人たち、路上生活経験者、障がい者、DV被害者、身寄りのない高齢者の方々の為に住居、介護、看護等生活全般の支援を提供している団体です。

 

友愛会の事務所の外観です。

 

朝9時に訪問すると、丁度朝のスタッフのミーティングを行っている最中でした。前日あった引き継ぎ事項について各担当者の方から説明がなされ情報が共有されていきます。その間、デイケアに行く入居者の方のお迎えの対応がはいります。

朝、吐師理事長(一番右側)を中心としてミーティングが開かれています。

 

ミーティングの後スタッフの田中さんから、山谷地区と友愛会についてまず話を伺いました。

田中さん(右側)から説明を受けています。

 

山谷地区はどの様な歴史をもっているのですか。

山谷地区は江戸時代には小塚原処刑場や吉原に隣接し、日光街道の最初の宿場町として木賃宿が数多く並んでいたようです。戦後、東京都とGHQによって戦争被災者のためのテント村がここに用意され、その後バラックが作られ、それらが日本の復興とともに簡易宿泊所(ドヤ)が置き換わるように建設されていきました。そして、戦後の復興期、高度成長期にかけて東京の土木建設に従事する日雇労働者がこのドヤに数多く住むようになりました。日雇労働は景気に大きく左右され、仕事にあぶれた人はいわゆる「野宿者」として路上生活を余儀なくされてきました。また、漫画「あしたのジョー」の舞台となった街として知られ、モニュメントが立てられています。

友愛会前の通りからスカイツリーが眺められます。

 

山谷地区の簡易宿泊所(ドヤ・オレンジ色)と公共施設の位置図です。

 

リフレッシュされた「あしたのジョー」のモニュメントです。

 

この山谷地区で友愛会が活動を始められた背景を教えてください。

山谷地区の高度経済成長期を支えてきた日雇労働者の人々は高齢化が進み肉体労働が困難になり、働けなくなると年金等がない為にすぐに経済破綻に陥ってしまいます。また、高齢で病気、障がい等をかかえ路上生活すらできない人が増えてきました。路上に生活して体調を崩した人も病院に搬送されて三ヶ月もすると退院させられてしまいます。さらに、高度経済成長期からバブル崩壊後の長期経済停滞期を迎え、仕事自体が急激に消滅してしまいました。その後には、行き場のない、何らかの疾病や障がいを抱えた独身の高齢者が取り残されました。

日中の玉姫公園です。空き缶潰し作業やおじさん達が将棋などをしています。

 

そのような時代背景の中で友愛会が立ち上がったのですね。

山谷地区では長年にわたり山友会、ほしのいえ、神の愛の宣教者会等々カトリック系を含め様々な団体・グループが炊き出しや無料診療所等で、仕事にあぶれた人々の生活支援を行ってきました。山谷地区の変遷に伴い、野宿者や日雇の労働者の人々も次第に高齢化し、救急搬送で病院に運ばれることが多くなり、これらの身寄りのない高齢者を受け入れられる施設が求められていました。そこで、山友会のスタッフやボランティアがそれらの居場所を失った人を受け入れる施設として友愛ホームを設置し友愛会を設立しました。資金的には、生活保護費の中から宿泊費、食費などを負担にかからない範囲で払ってもらうことで、日常的な介護や生活支援を継続できるようにしています。

友愛会の理念が掲げられています。

 

友愛会の現在の活動内容は多岐にわたるみたいですが主な内容を教えてください。

まず、宿泊事業とドヤ生活支援事業があります。宿泊施設として、介護、ターミナルケアも可能な男性用施設として「友愛ホーム」、老人ホームや病院に入院を待つ女性やDVの被害者、及び障害を抱えた女性用施設として「やすらぎの家」、介護とターミナルケア対応の男女兼用施設として「STEP-UP HOUSE」の3つを設置運営しています。定員としては42名となっています。さらに、入居者や他の簡易宿泊所に居住している人の食事の提供や様々な生活支援をしています。

訪問事業としては、訪問看護と訪問介護があります。一般の訪問看護ステーションを設置し地域の看護を担うとともに、ボランティアで簡易宿泊所入居者の訪問介護を行うこともあります。理事長を始め精神科訪問看護を得意とするスタッフがいて、様々な困難なケースを依頼されることがうちの特徴です。介護については一般的な訪問介護ステーションに加えて、ドヤの居住者への生活支援も実施しています。

友愛ホームの入り口です。

 

STEP-UP HOUSEの外観です。

友愛会は単に3食を提供しているだけではないとのことですがその意味は何ですか。

この施設の居住者だけではなく近所の宿泊所の希望者にも朝、昼、晩の各食事を希望に応じて提供しています。自己管理ができない方も多く、食事の時に本人の同意のもとに服薬の確認、インシュリンの自己管理が難しい人のために自己注射の確認をして、血糖値を測ってもらい主治医に提出するための記録を取ることなどもしています。この食事の提供は、同時に安否確認を兼ねています。食事に来ない場合、その方の部屋を訪問して安否確認をする約束をしていて、施設の了解も事前に取ってあります。今までに、この訪問時に部屋の中で倒れて動けなくなっていた事もありましたし、残念なことにお亡くなりになっていたこともありました。

そのほかの生活支援としてはどのようなことをするのですか。

生活支援に関しては、利用者本人の同意を頂いたお金の管理制度、定額給付金、ワクチン接種の書面提出、ゴミ出し、害虫駆除、葬儀の立ち合い、遺骨の引き取り等多岐に渡ります。緊急時の対応として、救急車へ同乗しその方の状況の説明も行います。この様な緊急時に対応する為に、2人の宿直体制をとっています。

宿直室です。

 

まるで家族がやるようなことですね。

はい、「家族機能」の社会化ともいわれているんです。

活動を通じて最近の利用者の状況はどのように変化してきていると感じていますか。

当初は、山谷地区に住む労働者を支援しようということで始まりましたが、始めて数年頃から東京都内や関東圏内の福祉事務所等からも入所の依頼が来るようになってます。最近では、八丈島や大島から入所の依頼がきています。そして、入居者も当初の野宿者や労働者に加えて、複合型でボーダー(境界的)な障がい者を福祉事務所がドヤ等に紹介するケースも増えてきています。実際、友愛会を頼ってくる人々も、共通することは「身寄りがない」「金がない」「家がない」ということで、その背後には慢性疾患や身体障がい、認知症、依存症、知的・発達障がい、精神障がい、DV被害者、路上生活経験、周産期の女性、刑期明け・保護観察等々様々な事情が複合的に関係していることが多くなってきています。

様々な状況に対応できる友愛会の活動が重要になってきているのですね。

友愛会だけでできることは限られており、他の団体との連携が重要であると考えてます。

 

ここで、施設内を案内していただくことになりました。事務所のすぐ横には、新たに増設した居室には80歳代の男性が入居されていて、他の介護ステーションから来られた介護士の介護を受けていました。食堂では調理師のスタッフの方が昼食の準備を始めていました。毎食栄養のバランスが取れる様にメニューを考えているとのことです。介護の必要な人は、誤嚥を防ぐために飲み物にもトロミをつけるなどの工夫をしているとのことでした。

 

調理師のスタッフの方が20人分のお昼ご飯を調理中です。

 

自己注射のインシュリンです。

 

居室は一般的なドヤよりは広めの設定になっています。2階には基本的には足腰がしっかりした人が居住し、1階は補助が必要な人が居住するようにしています。介護度が上がると特別養護老人ホーム等に入居をしますが、ご本人が継続して入居を希望される場合は看取りまで行います。

友愛ホームの実際使われている部屋です。

 

マリア像が置かれていました。

 

午後からは看護師で友愛会理事長の吐師さんに訪問看護に同行させていただきながら、合わせて吐師理事長にインタビューをさせていただきました。

訪問看護ステーションと介護ステーションを開設したのは目的があったとのことですが。

友愛ホームの設立によって、住居は提供できるようになりましたが、田中さんが説明したように、入居者の状況は複雑で、生活上の看護や介護が必要な人が増えきて、それにマンパワーが追い付かない状況となりました。そのような時、整備されつつあった訪問看護・介護の制度を利用するために、2003年に訪問看護ステーションと訪問介護ステーションを設立し、今まで、生活支援として行っていた看護や介護の部分を、医療や介護の制度を利用して行うことでマンパワーを確保し、その分その他の生活支援に他のマンパワーを向けることができるようになりました。

先程、他の介護ステーションの介護士の方が介護に入っていましたが。

日常業務の中で、他の事業所の立場を尊重するようにしています。あの方の場合、他の施設から友愛ホームに移ってきたのですが、長年介護してきた介護士が介護し続けられるようにしています。私共の介護ステーションを利用することを求めていません。他の介護士が入ることにより、他のケースを紹介してくる場合もありますし、私共の介護ステーションが手いっぱいになった時に介護を紹介したりして自然と連携するようになります。

ドヤの管理者は他人がドヤに入ることを拒否すると聞いていますが、訪問介護はできるのですか。

以前、ドヤ内の安全を守る意味で他人がドヤに入ることは厳禁となっていました。しかし、入居者の高齢化や疾病、障がいを抱える人が増加したことから、ドヤの管理人が入居者の管理をすることが難しくなってきています。友愛会ではドヤの管理人が困っている様々なことに対処していくだけではなく、そのドヤの意向に反して自分の所に入居者を転居させないなどで信頼関係を構築してきていています。

山谷地区には様々なNPOの団体がありますがそれらの連携はどのようになっていますか。 

山友会、きぼうの家、訪問看護ステーションコスモス、ふるさとの会とかは繋がっていて、地域包括ケアの先進地といえます。対象になる人たちに困難ケースが多いので、単独ではケアできないケースも多くなります。理念に燃えて山谷で活動を始めた民間の各団体は、このような現実に直面して自分の限界を知って、他との繋がりを求めるようになった経緯があると考えています。そして、実際に繋がると様々なケースに対応ができるようになり、山谷以外の地域からも困難なケースを山谷に紹介すれば何とかしてもらえるということになってきています。福祉事務所から日雇い労働経験者でなくても、難しいケースは山谷に紹介してくるようになっています。それにいかに対応するかでみんなが連携して考えていくというようなことになり、様々なケースが積みあがってきました。例えば、他の地域であれば病院に完全介護で入院している人を、山谷では地域で診ていけるイメージでしょうか。その意味で福祉の先進地域であるといえると思います。

友愛会は最も困難なケースを受け入れることが多いいのですか。

困難なケースというのも様々な分野があります。例えば、ターミナルケアでしたら友愛会だけではなく、訪問看護ステーションコスモスとかきぼうの家とかがホスピスの役割をしています。私とか田中さんが精神科と依存症、あるいは触法ケースに長年携わってきているのでその分野で強いと思っています。特に、法律に触れる行為をした人のケースへのアプローチで評価されていて、法務省や刑務所、保護観察所から直接依頼が来ます。精神的な障がいがある人の出所後の支援を依頼されます。友愛会が行き場所を失った人が自立できるように包括的な生活支援をおこなえることがその背景にあるように思います。前科19犯の人が多方向からのアプローチで無事生活を継続出来ていたりします。

 

カリタス東京活動報告

第2回生活困窮者支援タスクチーム会合を開催しました

2月の第1回に引き続いて、4月14日(日)に第2回生活困窮者支援タスクチーム会合を教区本部会議室にて開催しました。このタスクチーム会合は、東京教区内のカトリック系生活困窮者支援団体・グループの今後の連携の在り方を話し合うものです。

今回の会合では、7月に生活困窮者支援団体・グループの交流会を開催、11月には幅広い方々も参加できるイベントの開催など今後の予定を確認しました。また、個別課題に関しては、団体・グループ間の情報共有の仕方、シエルター不足への対応などについても話し合いました。