カリタス東京ニュース

カリタス東京ニュース 2024年7月号

2024年06月24日

インフォーメーション

東京教区平和旬間2024  イベントのお知らせ

8月3日(土)
14:00~16:00

講演会 斉藤 小百合さん(恵泉女学園大学人間社会学部教授)

  • テーマ:「日本国憲法と東アジアの平和」
  • 場所: 麴町教会 ヨセフホール 
  • お問い合わせ: カトリック東京正義と平和の会 齊木 電話:090-4543-7082
8月10日(土)
14:30~16:15

講演会 根本 敬さん(上智大学名誉教授)

  • テーマ:「創り直されるミャンマー クーデター下の弾圧と人々の抵抗、そして祈り」
    ミャンマーで進む国軍による「破壊」と、それに命がけで抵抗する人々による民主国家の「創り直し」の両方を紹介し、このような困難に至った歴史的背景に触れたうえで、私たちにできる支援は何かについて考えます。
  • 場所:関口会館 ケルンホール
17:00~

平和を願うミサ

  • 主司式:小池 亮太神父(カリタス東京常任委員長)
  • 場所:東京カテドラル聖マリア大聖堂
チラシ

 

愛の奉仕活動の紹介コーナー

「山友会」訪問レポート

今回は東京都台東区にある山友会を訪問しました。山友会は山谷地区で1984年から、無料診療所、生活相談、炊き出し、アウトリーチ、食堂、居住支援、地域とのつながりづくりなどの活動を通して、路上生活や簡易宿泊所生活を余儀なくされた人々との社会的なつながりと、互いに助け合えるコミュニティを築こうとしています。山友会の活動が多岐にわたるので、3週にわたって訪問して様々な活動を取材させていただきました。

山友会のクリニック・相談室の入口です。この前の道路におじさんたちが椅子に座って話をしています。

 

まず、毎週水曜日に行われている桜橋から言問橋の間の隅田川沿いにテント生活等をしている人たちへのアウトリーチに同行するために訪問させていただきました。5月中旬に行われる三社祭の飾りが軒先に飾られている山谷の街並みを通ってお邪魔すると、お昼ご飯を食べ終わったおじさんたちが診療所の前に座っておしゃべりをしているところでした。今日は午後診療所が開かれる日とのことで、診察を待っている人も一緒に座っていて、順番が来て名前を呼ばれると診察室に入っていきます。

診察前に診察室を見せていただきました。

 

1時半になると、2階の食堂でアウトリーチのミーティングが始まり、配布物の確認等が行われます。今日の参加メンバーは相談員の後藤さんを中心として6名の体制となります。

アウトリーチを行う隅田川までは車で移動し、隅田川にかかる桜橋のたもとにある台東リバーサイドスポーツセンターの駐車場に車を止めて、みんなで荷物を持って隅田川の台東区側の堤防下へと向かいます。

本日のアウトリーチのメンバーです。

 

今日配布するパンです。

 

桜橋の下には10名くらいの方が我々を待っていました。スタッフの人たちと顔なじみの人も多いようで、声をかけながら食料品を渡していきます。そんな中で、40歳代くらいの二人連れは仲間からここで食糧支援を受けられると聞いて今日初めて来たとのことでした。スタッフからは山友会の事務所に来れば支援が受けられ、仲間もいることを話すと、山友会のことは知っているとの返事でした。ここの人たちは、昼間は河原や公園で過ごして、夜は近くの商店街等で野宿をしている方が多いとのことです。

隅田川のテラスに沿って歩いていくと、公園の所々に路上生活者の人たちがベンチに座って待っています。スタッフの人たちが一人一人声をかけながら食糧を渡していきます。以前から体調があまりよくないという人に診療所に一度来てお医者さんに診てもらったらと話しますが、「まだいいよ」という返事が返ってきます。スタッフの方からは、「早く診察に来てくれればいいのだけれど、頑張りすぎて、最終的に救急車で運ばれないと病院には行ってくれない人が多い。」とつぶやいたのが印象的でした。

言問橋のたもとの公園の茂みの中に二人の野宿の人がテントに住んでいました。蚊がだいぶ出てくるようになったので結構虫刺されに困っているという話がありました。

その後、言問橋を墨田区側に渡ります。墨田区側の堤防下に降りたところで5名程度の人が待ち受けていていました。その人たちに食料を渡した後、堤防のテラスの所を桜橋方面に向けて歩いていきます。そこにはブルーシートのテントが点々と張られています。テントは河川敷に設けられた藤棚の下の日陰に工夫して設置してあります。スタッフは一軒一軒声をかけて、返事があると食糧を渡していきます。テントが留守の場合に食糧を中に置いていきたいのですが、ねずみや蟻が集まってきてしまい、テントの中が大変なことになるのでできないとのことでした。墨田区側の河川敷を桜橋まで歩いてきて、今度は桜橋を渡って車の所まで戻ります。およそ1Km強のアウトリーチでした。

今日は30名くらいに渡すことが出来ました。この数は天候では多少左右されることはあるみたいですが、よく言われる生活保護費や年金の支給日の影響はほとんどないということでした。それだけ、路上生活をしている人の利用が多いということなのだと感じました。

アウトリーチを終えて気が付いたことは、台東区側の堤防下の河川敷にはブルーシートのテントがなく、河川に沿った茂みの中にテントを作って何件か住んでいます。墨田区側には堤防下にブルーシートのテントが点在しています。この為、隅田川沿いを走っている首都高速向島線からは隅田川のブルーシートのテントは堤防で隠され、台東区側は公園の茂みの中に追いやられ、路上生活者が住んでいることを気が付きにくくなっています。

どこからでもスカイツリーが眺められます。他の支援団体などからは、このスカイツリーから路上生活者が見えないように隠そうとしているのではないかという声も聞かれるようです。

 

さて、一週間がたって次の木曜日にお弁当作りと炊き出しに参加しました。事務所一階の相談室には山友会代表のジャンさんが座っておじさん達と話をしていました。挨拶をすると、「僕はマスコットで座っているんだよ」と笑って答えてくれました。

ジャンさんが生活相談室の前に座っておじさんたちの事を暖かく見守っています。

二階の食堂では既にお弁当作りが始まっていました。木曜日のアウトリーチには隔週でおにぎりとコロッケ弁当が配られます。今週はコロッケ弁当の週でした。今日は全部で180個を作り、白髭橋の墨田区側のたもとでの炊き出しと両国橋から厩橋までの川沿いのアウトリーチの二つの活動が行われます。炊き立てのご飯を少し冷まして弁当容器に詰めて、海苔をのせコロッケと沢庵を添えて完成します。ボランティアの人たちの手で手際よく次々につくられて、段ボール箱にバックされていきます。コロナ前には多い時は700個以上作っていたそうです。

さて食堂では、水曜日と木曜日に無料の昼食が提供されます。この日のメニューはカレーライスとサラダで、お弁当を作っている間に厨房でスタッフとボランティアの方が調理をしています。11時頃にお弁当の準備が整うと、食堂では昼食の配膳の準備が始まります。食堂は二階にあるため体が不自由で階段を昇れない人には持ち帰りできるようにカレー弁当が作られます。

昼食の調理中のスタッフと完成したカレーライスとサラダです。とても美味しい手作りカレーとサラダです。

 

食堂の調理チームの方々です。

外でおじさんたちと一緒に昼食を待っていると、様々な人が山友会の事務所に立ち寄っていきます。この日は事務所前に寄付された衣料品がおいてありました。都内を転々としているという路上生活の人が立ち寄り、衣類と物をいれるバックがほしいということで、スタッフの方が体に合うものを渡していました。その時に、お昼を食べていったらと声をかけ、食べていくことになりました。

その後、以前から相談室で支援を行っていた人がこの日役所に相談に行くことになり、スタッフがボランティアに役所への同行を依頼していました。カレー弁当を取りに来る人もいます。12時なると順番に手を洗って2階に上がっていきます。食堂が空くとまた次の人があがっていくというローテーションとなります。昼食をとり終わった人はジャンさんに「ごちそうさん」と一言声をかけて帰っています。

1時半ころから炊き出しとアウトリーチのミーティングが始まります。炊き出しチームは白髭橋の墨田区側のたもとでお弁当を配った後に高速道路下のテント居住者への訪問、アウトリーチチームは隅田川沿いに両国から厩橋までの訪問となっています。2週に分けて炊き出しとアウトリーチの各活動に同行させていただきました。まず、今回は炊き出しチームに参加しました。

炊き出しとアウトリーチのメンバーです。

お弁当を車に積み込み白髭橋へと向かいます。2時から配布予定ですが、20分前に現場に付くと既に20人以上の人が整然と並んでいました。お弁当を車から降ろして準備をしますが、準備をしている間にも徒歩や自転車で人が集まって列が長くなっていきます。2時までには60人以上が並んでいて、配布開始とともに一人ずつお弁当を2パックづつ渡していきます。比較的若い方も多く、女性の方もいます。この日は、人数が多く1巡目で配布が終了となりました。

配布終了後、高速道路下のブルーシート小屋へ訪問をしていきます。10数件の小屋が建てられていて、支援を受けている人の小屋を訪ねて体調や困っていることはないですかと声掛けをしながらお弁当を手渡していきます。スタッフの人の話だと、1カ月に1回「刈り込み」と言って、その日だけは小屋と荷物を他の場所に移しておかなければならないとの事でした。訪問が終了すると事務所に戻り、両国のアウトリーチのチームが戻ってくるのを待つてミーティングで来週の打ち合わせ等を行って解散となります。

次の木曜日に両国のアウトリーチへ参加しました。1時時半からミーティングを開いて、持っていく食料品や、汗拭きシートなどの数を確認してキャリーケースに入れて車で両国橋に向けて出発します。両国橋のたもとには3人の方が待っていました。一人一人から近況を聞きながらお弁当と日用品を渡していきます。

それから、隅田川テラスに降りて厩橋に向けて歩いていきます。隅田川にかかる両国橋、JR総武線の鉄橋、蔵前橋の下には路上生活者の人が点々と我々の事を待っていてくれます。翌日は台風が来る予報が出ていたので注意を促すと、皆さん分かっていて対策は考えているという返事を返してきました。

この季節でも隅田川テラスは風通りが悪く、コンクリートの照り返しで相当熱く感じました。襲撃などの危険から身を守るためにテラスにはテントが4つまとまって立っている場所がありましたが、留守でしたので支援品を置いていきます。隅田川テラスの厩橋のたもとから橋の上に上って、そこで待っている人に話しかけてお弁当を渡して、今度山友会の食堂に食べに来るように声をかけていきます。アウトリーチが終わると車が待っていて、事務所まで帰ります。

 

山友会の副代表の油井さんにお話をうかがいました。
山友会の活動内容は多岐にわたりますが、当初は無料診察室から始まったのですね。

高度経済成長期通じて建設現場等で肉体労働に従事する多くの日雇いの労働者が仕事を求めて山谷に集まり、簡易宿泊所や路上で暮らしていました。厳しい労働環境、生活環境でケガをしたり病気になったりする人がいましたが、彼らの多くは住民登録がなく公的医療保険に加入していませんでした。さらに、経済的な事情により病気やケガで医療機関を受診できない状況にありました。。このような人々に医療を提供すべく、1984年に有志のボランティア医師やカトリック信徒らによって無料診療所を玉姫公園付近(当時)に開設したのが、団体設立のきっかけになっています。

診療所のスタッフの方々です。

診療所を利用する方はどのように変化しているのでしょうか。

かつては、土木・建設などで肉体労働に従事する人が多くいたので、男社会の中でのケンカや仕事での怪我、過酷な労働や仕事の辛さや孤独を紛らわすために飲酒量が多くなることで起きるアルコール依存や肝炎・肝硬変などの病気で受診する患者が多かったようです。また、冬場には野宿の寒さから暖をとるための焚火によるやけどもありました。以前には冬に路上で凍死してしまう方もいました。

最近では高齢で路上生活を送る方が多く受診するので、高齢化に伴う高血圧、関節痛等で受診する患者の割合が多いです。最近では、40~50代のうつ症状や不眠などの精神疾患で受診する患者も目立つようになってきました。

このほかに、生活保護を受給しながら山谷地域の簡易宿泊所やアパートで暮らしている方が、かかりつけの一般の医療機関では医師の説明が良くわからず聞きに来る方や、かかりつけの医療機関のない方が体調がすぐれない時にどうしたらよいかと相談に来る方もいます。このように、路上の人達の命を守るとともに、地域の保健室的な役割も担っているように思えます。

他人の世話になりたくないなどの事情で長年路上生活を続けている人は、体調不良をきっかけにして生活保護を受給することが多い印象があります。アウトリーチで地道に関係を築き、具合の悪いところや困りごとはないかなどを時間をかけて聞いていくことで、山友会クリニックへの受診に繋がります。そして、専門的な検査や治療が必要になった際に、生活保護制度など福祉制度の利用について相談を行っています。

他のグループや団体から医療面の相談を受けることはありますか。

時々、他の路上生活者の方を支援しているグループの方から路上生活者を診てほしいという依頼が来ます。場所的に近ければいいのですが、遠い場合で症状が重い場合は救急車で病院に搬送してもらうように伝えます。また、最近では、難民申請中や技能実習などの外国人の診療を支援団体から依頼されることが増えてきましたが、公的医療保険に加入できず、生活保護制度などの支援制度にもつなげない場合が多く、対応に苦慮することがあります。

この診療所と地域の病院との関係はどのようになっているのですか

この診療所では簡単な検査しかできませんので、症状によっては一般の病院へ紹介することになります。そして、路上生活で健康保険を持っていない人に関しては、生活保護制度を利用する場合が多いのですが、生活保護制度の利用を希望されていない場合には、近くの無料低額診療を実施している診療所と連携して支援を行います。

全体として山友会の利用者の人々への対応の変化はどうでしょうか。

活動開始当初は路上で命を落としてしまう人が出ないように医療や食事提供、宿泊などの緊急支援や、生活保護制度の利用などで路上にいる人々が地域での暮らしに移っていくための支援の割合が高かったです。およそ20年ほど前からは、活動をとおして私たちと関係ができた路上生活の方で、簡易宿泊所やアパートで暮らすようになった人が増えていきました。しかし、住まいがあるだけでは、社会から孤立した状況や孤独感が改善されるわけではありません。地域のの中で孤立し、不安や悩みを抱えながら暮らしている方が多くいます。特に、高齢な方は介護が必要になることや孤独死の危険もあることから、地域で暮らしを見守るニーズが増えてきています。簡易宿泊所の管理人や役所の生活保護担当者などから相談を受けて閉じこもりがちな人を訪ねて行っても拒絶されてしまうことが多く、相手方と何かきっかけがないと関係を深めていくのは難しいです。これには時間がかかる問題だと考えています。

障害や病気を抱えていたり、介護が必要となったりすることで一人暮らしが難しくなった生活困窮者向けの生活支援施設「山友荘」の外観です。

先程、相談窓口に役所への同行を求める方が見えていましたが、どのような相談があるのですか。

特に路上で生活をしている人は、何か困りごとや悩みごとがあった時に誰に・どこに相談していったらいいのかわからない場合が多いのです。アウトリーチをしながら、何かあれば山友会を訪ねるように話をして、時間をかけて信頼関係を築きます。そうすることで、何らかのきっかけで山友会を訪ねてくれることがあります。先程、相談窓口に来ていた方も一人では役所に相談に行くのが不安でボランティアが同行していくことになったケースです。このような活動ができるのは、「ここに行けばあの人に相談できる」という相談窓口を常設している山友会の特徴といえると思います。山友会に行けば自分の事情を知っている誰かがいて、一人にはならないという安心感があるのではないかと思います。

山友会の前はいつも仲間同士で話をしている光景が見られますね。

昼間は路上生活から簡易宿泊所に入った人が多いと思います。路上の人は食糧を得なければならないので忙しくていつも座って話しているわけにはいかないようです。路上の人は廃品回収やわずかばかりの日雇いの仕事をしたり、炊き出しを回って食糧を確保したりと生きていくだけで精一杯です。ですから、路上の生活が長くなっていほど、定職に就く活動する時間的・精神的余裕もなくなり、そこから抜け出すのは難しくなります。  

支援の手が差し伸べられたときに、路上生活を選択し続けるのは、傍から見れば合理的には考えられないかもしれませんが、路上ではあっても取りあえず今1日は生き延びられるという感覚の持てる生活を手放せば、苦労して見つけた寝床やわずかながらの収入手段を失うかもしれないという恐れがあるのかもしれません。その根底にある考え方を理解しないで話をしても、なかなか理解が得られないのだと思います。よりよい生活のための提案が相手にとって信じるに値するものであると感じてもらえるように、時間をかけて相互の信頼関係を作り上げることが大切だと思います。

相談室のスタッフ・ボランティアの方々です。

様々な事業を行っていますが、それらのつながりはどのようになっているのでしょうか。

たとえば、無料診療所であれば、「命を救う」、「病気を治す」など各事業で各々のねらいはありますが、路上生活や生活保護を受けて暮らしている人、あるいは社会的に孤立して生活に困窮している人々に彼らのニーズに合った支援を通じて繋がりと居場所を作っていくという共通の目的を持っています。その目的で各事業は繋がっているといえます。

人は長く孤立し孤独感を深めていく中で、前向きに生きていく力を失っていきます。さまざまな問題を抱えていても状況を改善する意欲を失い、どんどんと悪い状況に陥ってしまいます。それは「セルフネグレクト(自己放任・自己放棄)」と呼ばれるような状態であり、緩慢な自死のようなものではないかと思います。

そうした状況にある方に対して、余計なお世話といわれるかもしれませんが、私たちはアウトリーチを通じて、具合が悪いと言ったらクリニックへ、お腹が空いているといえば食堂へと誘って仲間と繋がるきっかけを作っていくお手伝いをしています。そして、人が集まれば、色々問題も生じるが、お互いに分かり合い、支えあって生活をしていく可能性が生まれます。

山谷・アート・プロジェクトは仲間づくりの一環ですか

写真家でもあるスタッフが、福島の被災地の子どもたちにカメラを渡して日常を撮影してもらい発表の場を設けるプロジェクトに関わっていたのですが、その取り組みを山谷でもやってみたいということで、おじさん達にデジカメを渡して日常生活の中で写真を撮ってもらい、定期的に写真を見せ合う、また、展示や表彰の機会を設けるという活動をやっています。

人に評価されることでさらにやる気が出るようです。山谷・アート・プロジェクトのほかにも、「居場所・生きがいづくりプロジェクト」という取り組みでは、「折り紙の会」や「お花見散歩」など、プロジェクトに参加するメンバーたちで考え、準備した活動を行うことで、関係を深めたり仲間づくりの機会になっています。

山友会の共同墓地を持っているとお伺いしましたが。

路上生活を経験した人の多くには、さまざまな事情により家族との縁が途絶えてしまっており身寄りがありません。い、また、身寄りの方がいても遺骨を引き取れない場合があります。亡くなった後でも、つながりが続いていくようにと、山谷にある光照院に山友会の共同墓地をつくることができました。現在39柱の仲間がここに眠っています。このお寺のご住職は山谷で夜回りの活動を自ら行っていて、生活困窮者を支援しているいくつかの団体が宗教の枠を超えて墓地をつくらせてもらっています。春と秋のお彼岸にはみんなでお参りにきています。

 

 

カリタス東京活動報告

5月26日上智大学のASF(All Sophians’ Festival)に出展しました

5月26日日曜日に上智大学キャンパスで行われた「オールソフィアンの集い(ASF)」にカリタス東京がカリタスジャパンと合同で参加しました。上智大学同窓会(ソフィア会)社会貢献推進委員会が主催する出展ブースで、卒業生が関わっている5つの団体とともに出展しました。ブースでは、国際カリタスキャンペーンTシャツの頒布、能登半島地震復興支援募金の呼びかけなどを行いました。